日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

ある程度リアルタイムな考え

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■なんだかんだ8本目の日記。今は1月30日土曜日の22時48分。何について書こうか何も決まっていないので思いついたことをどんどん書いていく。水を飲む。
 
■1月の電気代が同居後初めて1万円を超えたのでびびって節電に走っている。1月は寒くてエアコンをがんがんつけていたのが原因。去年の同じころは28度で暖房をつけていたが今年は20度で扇風機を回していた。「こんなに温度下げちゃって、さぞ電気代が安くなってるだろうな」とわくわくして検針票を見たら前年より4千円も高くなっていて本当に驚いた。人生のスパイスだと思うことにした。
 
■この1月は生活リズムが完全に終わっていて15時就寝21時起床とか、9時就寝15時起床をしてから19時就寝1時起床みたいなほとんど寝ている日もあった。どうしてたんだろう。がたがたの生活リズムをなんとか少しずつずらしていって22時就寝6時起床ができるようになったときは嬉しかったし爽やかだった。勝った、とも思った。世間的に朝方の生活を推奨されているけど必ずしもそうじゃなくていいのにね。どんな生活リズムでも本人にとって快適なのが一番だし。
ただ今の世の中はあまりにも朝方に迎合していて夜型には厳しい。その価値観もこれから変わっていくだろうか。ほとんど時差のない同じ国にいるのに特定の人とだけ時差があるのもしゃれていると思う。まあでも夜勤と日勤はそんなにロマンティックなもんじゃないか。学校の時間割も時差ととらえることもできるからそう思うと少しロマンティックかもしれない。
「ロマンチック」ではなく「ロマンティック」や「プラスティック」と書くのはバンドPlastic Treeの影響。CCBも「ロマンティック」派だっけ。なお口語ではその限りではない。言うと驚かれることもあるのだけど私は口語でのら抜き言葉の類に寛容。しゃべることは文化に直結するので自由な方がいい。
 
■上のような乱れた生活リズムをふたりの人間が同時に「違う時間帯で」やっているとエアコンの消し時がわからなくなって電気代が11,000円になる。常に人が起きている生活への自戒。聖書に書いておく方がいい、「あなた方の暮らす時間を合わせなさい。朝はともに起き、パンを食べなさい。昼はともに働き、夜はともにパンを食べ、少しの葡萄酒を飲んで床につきなさい」と。私が神だったら最初に「光あれ」とは言えないだろうな、神だから暗くても見えるだろうし。神が鳥目ってことはないでしょう。でも生き物を用意して世界を創ろうとするんだったら最初に「光」がある方がのちのちよいんだろうか。ところで聖書って誰がいつごろ書いたんだろう。印税取ってないのかな。人生100回やり直してもお金に困らなそうだ。人生100回くらいやってきたから聖書なんて書いたのかな。初めて生まれた人間が書けるとは思えないよなあ。
 
■大河さんがゲームをやっている。私はイヤホンを片耳につけていて1時間くらいしゃべってないのだけど大河さんはずっと「あ~これはへたくそ、僕が悪かった。反省してる」「うおーッ味方がんばれがんばれ! 避けてよけて! ああー、惜しい!」とか言っている。あまりにもうるさいので笑ってしまった。「味方の応援してたんだ。他の人にへたくそとか言ってるよりいいでしょ?」「いいけどひとりでまじでしゃべるね。すごいよ」「誰の兄だと思ってるの? あのまじで狂ってるくらいしゃべる弟の兄だよ」義理の弟はすごいしゃべると聞くんだけど、私の前ではまだその限りではない。何回か片鱗は見ている。
ちなみに大河さんはオンラインのFPSをやっており、普通に他のプレイヤーに「ガバエイム(エイム=標準合わせががばがば、へたくその意)じゃん」とか「なんでそっち行くったの? わかってない……」「おいへたくそか?(他の人に)」とか言っている。もちろん直接他の人に伝えているわけじゃなくて独り言なのだけど、あまりにもうるさいので「そんなにぶちぶち言うならやめなよ」と窘めることもある。窘めるというより私の心を守るために言う。おもしろくてやっているにしても家の中にぶちぶち言い続けている人がいるのは堪えるときがある。12月末から1月の頭にかけてとかは本気でいやだったな。
 
■何事も「いやならやめろ、いいならやれ」派の人間なので「ぶちぶち言いながら続ける人間」のことを不思議に思う。交際相手の愚痴をいつまでの言いながら別れない人はその筆頭。さっさと別れればいいし別れないなら「下に見ることができる他人が近くにいて嬉しいから別れない」「次が見つかるまでは別れないけど好きで付きあってるわけじゃないから愚痴が出る」と言ってくれ。もっと素直に自分のことを見て。
今回のゲームに関してはこちらの疲労度が高いときは「そんなにヘイト言いながらプレイするなら、プレイやめても死なないんだからやめれくれよ」と思う。楽しいなら暴言吐くのはやめてほしいい。前にそういうことを言ったら「ゲームをやっていていろいろ言うのはそれを感情のはけ口にしているから」と返されたことがある。その手段に到達してしまう前に感情をどうにかできないものか? と思いつつ、私たちは違う人間だから感情の吐き出し方ももちろん違うことも理解している。
でも「家の中に暴言を吐いている人間がいる」という状況だけを見れば決して気持ちのいいものではなく、正直なところどうにかしてほしい。子どもの前ではできないことはしてほしくない。同時に、子どもがやって好もしくないこともしてほしくない。子どもいないけど。イマジナリー子どもをつくって。
これでも「確かに家にぶつぶつ暴言吐いてる人間、しかも男がいるのはかなり怖いし嫌な空気になるね」と納得してくれて以前よりもかなり落ち着いているのでそれは本当にありがたいことだ。喜ばしく、晴れやか。そう考えると今はもう少し私が我慢するフェーズでもあるのか。実際今週なんかはそんなに気にならなかったと思う、こっちの機嫌にも左右される(期限に左右されるのほんとにいやなのだけども。やむを得ないライブ感)。違う人間が生きていくには歩み寄りが必要だ。ただどこまでを「歩み寄り」の範疇にしてどこからが「心を殺す」ラインなのかはお互い気にしていかないといけない。私の希望ばかりを押して大河さんの気持ちをないがしろにしてはいけないし、かと言ってずっと暴言溢れる家も不健全だし。
 
■「あなたは物事に対して中立で、どちらの言い分も理解できてしまう性質」と言われたことがある。自覚があって、児童虐待のニュースを見ると「子は子でかわいそうだが親もそうせざるを得ない状況だったと思うとつらかろう」と考えてしまう。よい感覚である反面、実生活のトラブルにおいては相手のことを考えすぎてしまうこともある。こういう性質である以上、自分を守るための適切なバランスを探っていかないといけない。人生は探求だ。
 
■昨日「教師(例として小学校教師)の体罰はありかなしか」の話をした。私はなし派、大河さんはそれ以外に方法がないのであればあり派。曰く「小学生は動物寄りの生き物だから力じゃないと聞かない瞬間もあるだろうから」とのこと。まあわかる。大人も十二分動物だとは思うが、知恵がある分面倒だし。
漫画『呪術廻戦』に「一度人を殺してしまうと自分の人生に”殺す”という選択肢がついて回ることになる。それが嫌だから殺しはしない」というセリフがあるらしく(知らない人のツイートで見た)、私は自分や自分が大切に思う存在の近くに「他人に言うことを聞かせるために”暴力という選択肢”を持っている人間」がいることが怖い。暴力は人に言うことを聞かせるのに一番楽な手段だ。10秒もかからず言うことを聞かせられる。だからこそ1回振るったら簡単にもう1回、もう1回と振るうようになるだろう。自制心を持つ人間なんてそうそういない。
話に出てきた架空の小学校教師が、何かのっぴきならない理由で児童に暴力を振るう(今回はげんこつ1回というケースで話している)のならそうなってしまう前に児童の親にアラートを上げてほしい。例えば特定の児童が毎授業中うるさくて何度注意しても静かにならず他の児童の迷惑にもなっている、という事情だったら暴力の前にその子の親への相談が必要だし、それを飛ばして暴力に訴えるのは短絡的すぎる。何度親に連絡してもつかまらないということになるとまた違う問題になるけども。あくまで体罰への価値観を問うための架空の話だから、細かい話はまあこのへんで。
体罰はごちゃごちゃ言わずに「野蛮な言動」と認識しているので感覚的に好きじゃないという理由もある。生理的に無理、の親戚。前者の方が比較的理由をつけやすいってだけでほとんど双子。
そういえば、大河さんが前に「世の中には2種類の人間がいて、バットを人に向けて振れるやつと振れないやつ」と何かの引用を話してくれた。私も暴力を振るうには素養が必要だと思っている、だからこそ体罰はなし派にいる。圧倒的に弱者であり、世間的に守るべき存在である子どもに暴力を振るえる人間は本能的に怖い。そういう人はきっかけさえあれば私にも拳を向けるだろう。
 
■私の中で、ゲーム中の暴言と体罰への価値観は似ているかもしれない。
「「ゲームをやっていていろいろ言うのはそれを感情のはけ口にしているから」と返されたことがある。その手段に到達してしまう前に感情をどうにかできないものか?」という部分と「何かのっぴきならない理由で児童に暴力を振るうのならそうなってしまう前に児童の親にアラートを上げてほしい」という部分。そうなる前になんとかしてくれ、という構造が同じ。
ゲーム中の暴言と体罰も、やる方からしたらいろいろ考えた上での行動なのだと思う。そこに思考があることはわかる。だけどその他人の思考の中身を私は勝手には知れないし、いきなり出てきた行動には驚いてしまうことだってある。自ら命を絶とうとする人間には「悩んでいるなら言ってほしかった」と嘆くものの、自分が悩んでいるときは言わない人が多いように。
まあでもこれも「私がこう思ってるってことを言わないと、相手には伝わらない」というブーメランなんだよなあ。ゲーム中の暴言に関してはまあまあな回数「やめて」と言ってるけど。
それはそれとして今みたいに落ち着く前の、ただ不機嫌をまき散らしているような状態よりはよっぽどよくなっているのでそれにはきちんと嬉しい気持ちを伝えないといけないなあ。
 
■2時間も経ってしまった。浮かんだことをどんどん書いていくのは上の暴言と体罰の価値観みたいに思いがけないところがつながっておもしろい。時間がある限りいくらでもできちゃうな。
 
■ミュージカル「RENT」の楽曲「Seasons of Love」を聴きながら書いた。「RENT」は大河さんの好きな作品で、2017年くらいに渋谷東急オーブでミュージカルをやるというので観に行った。前情報がひとつもない状態で見、話が全然わからなくて何回かあくびが出た。幕間で「全然話わかんないんだけど前情報がないせい?」と聞いたら「僕も正直わかんない。思ってたんと違う」という会話もした(大河さんはDVDか何かを持ってて、確かそれがすごく好き)。
「Seasons of Love」がどのタイミングで歌われたのかもう覚えていないけど、ものすごい歌で呆然とした。他の曲は1曲も覚えてない、この曲しか記憶にない。夜、しみじみとした気持ちで聴くと涙が出そうになる。この肉体に感覚が備わっていることのめでたさよ。楽しく愉快に暮らして生きたいな。
 
■この日記は4,736字書いてるらしく、さすがにちょっとびびっちゃった。
 
おしまい