日曜日の朝

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5月2日~8日 風情がない旨、駄々で伝えた

■5月2日日曜
「そら幻肢にもなるわ」というメモが残っていた。日記のメモである。確かに書いた記憶がある。肉体に関する何かがあって、「こんなことがあるんじゃあ幻肢も起きるわいな」と思った記憶がある。
幻肢と書くくらいなので逆のことが起きたのだろう。ある肉体がない痛みでも感じたのか。そういうことがあったような気がする。でも全然覚えてない。これ、ネタの幻肢ってこと?!
 
好きなバンドマンが幻肢という言葉をよく使う。その人の文章によって覚えた。
なんとなくいつも泉鏡花の「外科室」も出てくる。性的なニュアンスの多い話だった気がする。
確かどこかの奥様に手術の必要が出て、麻酔が必要になるのだけど「麻酔の間に何をしゃべるかわからない(この医者のことが好きなんだか主人に何かあるんだか)」とごねるので麻酔しないで手術するんだっけ。そんなひぐらしのなく頃にな展開あるかな。
 
訳文を読んだら本当にこの展開だった。人の記憶力というのは大したもん。
せっかくなので青空文庫で原文もちまちま読む。まだ読めるだろうか。不安。
 
夜、cinema staffオーパーツ配信を見る。前よく聴いていたバンドが今もばきばきにかっこよくあってくれて嬉しい。
オストライヒ始動後に國光さんが動いているのを初めて見た。生きていること、音楽をやっていること、文章を書いていること、どれもすごく嬉しい。憧れと言うのもおこがましいくらい、ずっと遠くにいる人。
破滅的な性質を心配する一方で、それが彼の童話めいた、冷たく埃っぽい世界を担う一端であるのなら、身勝手だけど感謝してしまう。
 
■5月3日月曜
食品の買い出しへ。肉魚と米5kgを持って帰る。やたら重いものを買った。寝ている夫を起こして買い物バッグを持ってみてもらい、労わってもらった。
初めてスーパーのレシートを失くした。キャッシュレス決済のため総額はわかるのがさいわいである。家計簿は品目レベルでつけているが、ここまで細かくなくてもいいのかもなあと思う。
 
ルーンファクトリー4を久々にやる。昨日は新婚モードを少しやった。
メインストーリーは完全に終わり、あとはシアレンスの迷宮やアイテム集め、結婚、依頼、畑などしかやることがない。金の大きな作物をつくる日々。燃え尽きている。もうアーサーと結婚してしまおうか。
イドラの洞窟にあるらしい隠しエリアを探す。紫のスイッチってどこにあるんだ? 3日くらいうろうろしているが一向に見つからない。攻略も見ているけどいまいちわからない。苦戦。
 
小川洋子の『猫を抱いて像と泳ぐ』を読む。毎日1章ほどめくっている。
神様が毎夜降りてきて書かせたような本。父が昔「人は誰でも人生で1冊は本を出せる。そういう経験をするんだ。それが1冊で終わらないのが作家という人間だ」と言っていた。小川洋子と言う作家は、これを書くために出まれてきたのではないかと思ってしまう。それほど美しく、光に溢れている。
私は神的なものを信じている方(いると思っている方がおもしろそうだから)である。この本を読んでいると神が人の手を経由してモノに宿ることを実感する。「やっぱり神様っているんじゃないか」と神肯定派としての立場を強固にしていく。
↑「神肯定派」と書くと過激だけど怖い人ではありません。全知全能なる者じゃなくても各個人が信じているものや行動(ジンクスとか日本製は安心だとか)があればそれは神に等しく、ひとつの宗教と呼んで差し支えないよね、というスタンスです。人為的でも自然的でも。
 
私は芸術全般に疎く、映画の構成も絵画の色彩も音楽の余韻も、自分でどこをよいと感じるのかまったくわからない。映画の中の機微も、絵画にあふれる陽の光も、音楽の緩急もなにも。ああここに神が宿っているのだと感じることができない。
だけど本からなら、本当に少しだけだけどわかる。
世界に私の心を救う文章があることを知っているし、見つけることができる。
鳥肌が立ち、次のページに進めず、何度もなんども繰り返す。折り目をつけて「そういえば」と突然そこだけ読みたくなる。私の心を震わせて、涙の蛇口を緩める。そんな文章があることを知っている。
数学もわからないし美術の歴史も何も言えない。だけどこんなに美しい世界を読むことができる。それだけで生まれてよかったと思える。人生はよいものだ。少なくとも私にとっては。
 
■5月4日火曜
夫の友人が結婚祝いをくれると言うのでケトルを希望した。
今使っているものは私が学生時代をともにしたもので、経年劣化のためプラスチックのにおいがする。カップ麺用に沸かすときは問題ないが、白湯となるとにおいが目立つので(においなのに目とはこはいかに)どうしようかと思っていた。白湯はまったく飲んでないから正直問題はないが。まあなんとなく、新しいのがほしかった。
 
ならばと夫の友人がバルミューダのケトルを勧めてくれた。インスタの暮らし界隈で人気のメーカーである。バルミューダと言えばオーブンだが、はたしてケトルはいかに。
いそいそ仕様書を読んだら容量600mlなので驚いた。満水まで沸かしてもカップ麺2個分にならない。2台使って沸かしてもペヤングの超超超大盛GIGAMAXをつくれない。というか世の暮らし界隈の人は600mlのお湯で生きてるんだ。人の数だけ暮らしがあるなあ。
 
というわけでケトルについて鬼検索をしている。今のところラッセルホブスが優勢。
最初は山善が見た目と温度調整機能とでよさそうだった。のだけど温度調整はしないだろうし(興味はある)、温度調整ボタンを何度も押すのも大変そうだし、初期不良で漏れるというレビューも多かったので抵抗が生まれた。その他細かい部分での難もありそうだった。中に返しがついていて水をすべて捨てられないとか、満水線が取っ手側についていて見づらいとか。デメリットのレビューの内容がだいたい共通していた。タッチパネルなのもちょっとめんどうそうだなと感じる。機能が多いということはそれだけ壊れる要因も増えるので。
ラッセルホブスはステンレス製だから本体がかなり熱くなるようで、そこだけ気になる。温度調整はできない。ないならしないのでかまわない。
 
温度調整はお茶の味に大きく影響することと、子のミルクをつくるのに便利という意見があった。やっぱり温度調整できる方がいいのか……。河原の葦のように大きく揺れた。
揺れてから、子のことは子が生まれてから考える方がよいことに気づく。温度調整機能は最近搭載されたものだと思っているので、次買い替えるまでにもっと種類が増えているだろう。多分温度による茶類の味の違いもわかんないし。河原の葦のようにからだを起こした。ラッセルホブスにほとんど心が決まる。あとは握り部分がフィットするかどうかである。
 
■5月5日水曜
じわじわ本を読む。
引き続き小川洋子の『猫を抱いて像と泳ぐ』と、温度差で立ち眩みを起こすためのさくらももこたいのおかしら』。『たいのおかしら』のグッピーの話で笑ったので夫に聞かせた。夫も「オチは最初からわかってた」と笑っていた。
 
机の、おそらく東側に私の席がある。西日が正面側から差すのでこっちが東だと思う。脳内の地理が終わっているので南の可能性も捨てきれない。
定位置の右手側(南か?)に「一時保存ゾーン」がある。旅行のおみやげのご当地タウンワークや夫が持ってきたJAFの雑誌などを溜めておく場所である。おもしろい記事がありそうなので読んでから捨てようと目論んでいるコーナーだ。読むペースがあまりにも遅く、半年以上積まれているものもある。
以前土鍋を買ったときに緩衝材として入っていた地方新聞も保存されている。捨てようとしたら夫が「紗季さんの好きそうな記事あったよ」と言うのでなんとなく取っておいた。どの記事かは聞いてない。九州の新聞なのでレアだし、今となっては取っておいてよかった。
 
資源ごみの日が近く、薄ら埃の積もった一時保存コーナーに着手する。平置きの一番上を動かすと埃が立つので、下の方をそうっと引き抜く。冊子状になっているものを1枚だけばらして読んだ。
高齢者向けの健康の記事だった。「筋肉は40歳を過ぎるとどんどんなくなっていく。人によっては1年で5%減る」「高齢者はちょっと運動しなくなると加速度的に運動しなくなる」「だけど筋肉量は何歳からでも増やせる。適切な運動と食事で」というようなもの。土曜新聞めいた内容でよかった。最終的にグルコサミンを宣伝された。
他にもデイケア施設で働く人の話や戦争で体験した話、読者投書欄が並ぶ。完全に土曜新聞である。懐かしい。
実家にいたときも土曜新聞が好きで見ていた。パズルがついているからだ。半紙面使った間違い探し、クロスワードパズル、数独、論理パズル。間違い探し以外は小さいものなので2種類掲載されていた。
 
母も土曜新聞のパズルが好きらしく、なかでも間違い探しとクロスワードをやっているのをよく見た。私は間違い探しと論理パズルが好きだった。「ママは論理パズル苦手。紗季はすごいね」とたまに言っていた。子どものことをよく見、きちんと褒める母だった。今もよく褒めてくれる。子どもながらすごい親だと思う。
「あなたの親はあなたのことよく見てるよ」と昔言われたことがある。そうしてくれていた重みもありがたみも昔と今では感じ方が全然違う。いつか自分が親になるとき、この親のようになれるだろうか?
 
■5月6日木曜
なんとなく占いの動画を見た。上半期は片づけ、模様替え、引っ越しなどおすすめと言っていたので頓挫していたメルカリ出品を再開することにした。着ないであろう服も次の燃えるごみの日に出そうとしている。動きの早いところがいいところ。
サンプルでもらった古い化粧水もばんばん使っていくことに決めた。旅行に行くときのために取っていたが、自制柄旅行しないし、行ってもアメニティを使うし。捨てるのももったいないので家で使うことにした。
早速目につくところに置く。見えるところに置いてあって使わないものはさっさと捨てる方がいい。戒め。
 
セブンイレブンでおいしそうなアイスが発売されたと聞いて、買いに行きたい。昨日時点で大きくバズっていたのでもう売り切れているかもしれない。でも買えたら嬉しいので夫をめちゃくちゃ誘った。たまには用のない散歩もしたかった。
夫が「在庫あるか電話してあげるよ」とスマホを持ったので派手に駄々をこねてやった。風情がない旨、駄々で伝えた。散歩という大いなる目的の中においしそうなアイスという細かな目的があるのである。
 
「1ヶ月くらい外に出なくても平気だけど、紗季さんから見たら異常者って思うの?」
「異常者とは思わないよ。引きこもりという存在を知っているからね」
「出たいけど出られない人と、出られるけど出ない人って違くない?」
「外に出る人からしたらどんな理由であれ”外に出ない人”だよ。上だけ見ればみんな一緒」
TOEIC理論ね」
という流れの中で「結婚ってしたいって思ってた?」と聞く。
私はなんとなく結婚制度に疑問を持たずに生きてきて、いつかするだろうとも予感していた。「結婚しないことを経験する人生」よりも「結婚をしてみて、うまくいかなかったら離婚する人生」の方がおもしろそうだとも思った。のでよい人がいれば結婚はしようとしていた。重篤な入院時も面会できるし。
あとは結婚したいほど好きな人ができるなら喪主を務めたいという理由もある。
 
なお「TOEIC理論」とは、昔夫が「痩せる必要ないのに痩せたがる女性って不思議。もう十分じゃない?」と言っていたのに対し、「TOEIC700点の人が900点を目指すのと同じだよ」と返したことに由来する。
夫はいたく感心し、「長らく疑問だったけど一番納得した。いい例えだ」と満足そうにしていた。
 
結婚をギャンブルだと思うことについても話した、前者はマイナスでもプラスでも離婚することでゼロに戻せる。だけどギャンブルはマイナスはマイナスのままなので結婚の方が勝率がいい、という論。結婚相手も事前に吟味できるし、ある程度コントロール下にあるのもいいポイントである。
コントロールという意味では数あるギャンブルの中でもっとも対岸にあるのは宝くじである。競馬や競輪と違って予想も対策も意味をなさないから。数字を選ぶ機械のパドックなんかしても意味ないし。「今日は赤いランプが点いているからエラーが起きそうだ」とか? メンテナンスじゃん。
「と言っても、結婚は離婚するまで長いじゃない。年単位でしょ。結婚にかけてきた時間を思うと宝くじの方が結果が速くない?」
「結果が速いと言っても結婚も宝くじも”時間をかけること”自体は変わらないよね。宝くじルートなら時間を戻せるわけでもないし」
「うーん、それもそうか」
 
こういう話をしながら散歩がてら新商品のアイスを買いに行くことができる点で、結婚はよいものである。結婚してなくてもできるけど。
 
■5月7日金曜
家にクローブを撒く。かの黒い虫に効くのだそうだ。去年か一昨年かにネットで知った。
そろそろブラックキャップの効果もなくなるころなので、ブラックキャップはそのままに新しく撒く。
 
去年チャイをつくる際にクローブを購入してあった。チャイ1回でクローブ4粒程度しか使わない。たまにカレーでも使うが、そうそう減るものでもないので虫除けという新しい活路を与えることにした。重要任務である。
調べたところお茶パック1袋に10粒ほど入れてそこらに置いておくらしい。よく開ける窓や玄関、台所の戸棚などとりあえず6ヶ所に置く。とはいっても正直1袋での効果の範囲がわからず、全然足りない可能性もある。
 
クローブの忌避効果を実験したブログでは2瓶(1瓶当たり、1袋10粒で9袋)丸々使ったと書いてある。本当にそんなに使わないといけないのだろうか。2DKに引っ越してからは3瓶とも言っていたのでやっぱり全然足りないかもしれない。もう少し足しておく方がいいのだろうか。部屋の4隅に置けという噂もある。
沖縄でも効果があると言っていたので効くのだろうけど、何粒からだろうか。なんにせよ効果があることを願う。
半透明のお茶パックに黒いクローブを入れているため、うっかりした頭で見ると「やつか?!」とぎょっとするが。
 
「ごきぶり憎し噴きつけても噴きつけても」川上弘美の句を思い出す。
その虫のことを「真っ黒くて充実したやつ」を表現していた。「充実」!
 
■5月8日土曜
小川洋子『猫を抱いて像と泳ぐ』読了。本当にほんとうに美しく、素晴らしい本。なんの言葉もいらない。
一度目に読んだときはここまでの気持ちの高ぶりはなかったはず。やっときちんと受け止められるようになったということだろうか。何事にもしかるべきタイミングがあるのだなあ。
ただ一ヶ所気になっているところがある。これから読む夫に何のネタバレも前情報も入れたくないので書かないが、どう解釈するか悩んでいる部分。
 
泉鏡花の「外科室」も読み終わる。どう訳せばいいかわからない部分がいくつかあったので起きたら調べる。
意味はかなりよく取れた(と思う)し、まだ読めることにも安心した。『源氏物語』を読むのがもう1年ほど止まっているのでまたぼちぼち読もうかな。学びは自発的にやらないと身につかない。
 
ミルクレープを食べる。
「ミルクレープってミルクのクレープかと思ってたけどフランス語で”千”のミルだね?」と夫。
「調べて進ぜよう。あ、正解、千のクレープだって。西麻布発祥らしいよ。西麻布のケーキ屋がつくったんだけど店頭で全然売れなくて、ある会社の人がうちで売らせてほしいって頼むのよ。それがなんとドトールなんだってさ。どおりでドトールのミルクレープはおいしいわけだ」
「へ~ドトール。クレープはさ原宿発祥でしょ。そんなイメージがある」
「クレープは……フランスのブルゴーニュ地方だって。気候的にそばしか育たなくて、ある日そば粥を焼けた石の上に落としたら食べられそうに焼けたことからガレットとして始まったらしいよ。小石と意味する”ガレ”から来たんだって。伝説によるとそのあと王宮の人がハマって小麦粉にしたり牛乳や卵を入れてクレープになったんだってさ」
「へ~。……伝説? クレープ伝説があるの?!」
フランスにも日本にもそばの実があって、一方では粥やガレット、一方では麺にしてそばつゆと薬味で食べるとはおもしろい話。豆知識。
 
おしまい
 
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