日曜日の朝

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6月27日~7月3日 このレシピ、ほとんど餃子なのではないか

■6月27日日曜
祖父の家の片づけ2日目。昼すぎに起き、昼食ののち母と用事を済ませる。帰宅して片づけ。着手しているほぼ倉庫部屋が、叔父の若いころの荷物ゾーンに到達してしまったので一時ストップ。生きている人間の荷物なので本人に見てもらってからにしようということになった。すでに2箱ほど捨ててしまったことを申告。
倉庫部屋はかつてリビングとして使われていた部屋らしく、大きないすやテーブル、棚が置かれている。叔父の荷物以外はそういった大掛かりなものばかり。家具らは上にまだものが乗っていたり、サイズ的にすぐには出せないものも多いのでこの部屋はしばらく何もできなそう。
あと電球が半数切れていて夜は暗い。造花が入ってる袋にいつのまにか蜂が入り込んでずっと脱出を試みているのも怖い。袋の口に段ボールで重しをしてふさいだ。しっかりと針を持った蜂である、よりによってこんな造花の花束に紛れ込んでしまって。
でかめの虫の羽音は立ち向かえないほど恐ろしい。カブトムシが一番だめ、からだ全体が粟まみれになる。蜂よ、逃がしてあげられず餓死を望む私の弱さを許してほしい。あるいは私が帰ってからうまいこと袋から抜け出す奇跡を願う薄情さを。
 
倉庫部屋が進められないので居間のタンスに着手する。「おこころ」のような文言が印刷された薄い小箱がたくさんあった。綿のハンカチが入っている。祖母の法事のときに祖父が用意した香典返しの余りだろう。法事でも結婚式でも、世代が変われば様式は変わっていく。祖父が執り行った祖母の式と、母が執り行う祖父の式を思い出す。
 
夜、関ジャムを見る。ボーカロイドP特集だったので楽しく見た。メルトや千本桜を聴くといまだに「いい曲だ」と思う気持ちと、地上波ゆえの気恥ずかしさが少しある。
あまり言ってないけど初音ミクのフィギュアはプライズや受注生産含め13体くらい持っている。彼女はかわいいので。深海少女の受注生産フィギュアをまだ開けていなくて、10年近く実家で眠っている。溶けたりしていないか時折心配している。行動に移さない心配は心配していないのと同じ。
 
■6月28日月曜
東京に帰る日。昼から約束があったので母とばたばたしたくする。用事の先でおみやげにと高級食パンをいただいた。ほんのりと塩味があっておいしいパンだった。
用事のあと母に地元デパートで誕生日プレゼントを買ってもらった。角長皿を2枚と木のまな板。当初は汁椀で考えていたけど皿の方がきれいだったのでそっちにしてもらった。淡いグリーンがよい。角皿は魚がよく映える。
お会計のとき、母が角皿の上で支払いをしようとして「お客様、こちらに」とトレイを出されて一緒に笑った。形がね、同じだから。
 
デパ地下でお弁当を買って電車に乗り込む。お弁当をつつきながらなにを話すでもなく話し、駅に着いたので先に降りた。
連絡の行き違いがありながらも夫と待ち合わせしてスーパーをぶらつく。帰っておみやげを披露する。高級食パン、母がおやつにしようとしていたカシューナッツ2袋、大きめのさつまいも、チョコがけのポテトスナック、350mlのコーラ、生八つ橋、せんべいなど。
それと台所に吊るしているハンドタオルの替えにもらってきた手ぬぐいたち。現役ハンドタオルたちがまたにおってきたら容赦なく入れ替えていく。
 
サンキュータツオ『もっとヘンな論文』をちまちま読む。
『「坊ちゃん」と瀬戸内航路』がめちゃめちゃすごくておもしろい、超ドラマティック(これも自分の本心でおもしろいと感じたのか、サンキュータツオさんが大変な熱量で推しているから感化されているのか判断つかないのが苦悩ポイント)。
なんで国文学系の論文雑誌じゃなくて航海論文雑誌に送ったんだろう。まあ著者の山田先生が船の人だからなんだけど、船の間口を広げたいなら国文学系の方に送る方が研究者人口的に効いた気もする。
この論文で『増補改訂・漱石研究年表』の内容は変わるのだろうか、変わっていてほしいな。こういう人を見ると突き抜けていくおもしろさをひしひし感じる。まじでかっこいい、ほんとに最高。私もこういう姿勢を取っていたい。
 
■6月29日火曜
朝から張り切って役所に用事を済ませに行く。夫関連で受け取るものがあった。雨が続くかやむか微妙なところだったが、予約をしていたためもう出ないといけない。ふたりとも気が進まないなか玄関を開け、5分も歩かないうちにずいぶん晴れた。夫は晴れ男である。心配性を併発しているため大きなビニール傘を持って「自分を信じるんだった!」と悔しそうにしていた。私は折りたたみ派だし、晴雨兼用の傘なのでノーダメージ。
 
よく晴れて暑いほどだった。洗濯してくるんだった。
予定していた用事は滞りなく終わり、おまけの用事も済んだ。
私が事前に何を聞くか、どんな持ち物が必要か調べ、当日夫メインで窓口で話を聞くという分担になっている。私は人の話を聞くのが苦手、問い合わせするのも苦手。夫が話を聞く横でなんとな~く一緒に聞いて理解し、あとで「これというのはこういうこと?」「ちょっと違うかな、これはね」と教えてもらう流れができあがっている。これ本当にありがたいこと。
夫も夫で事務手続きなどは着手するまでがかなりめんどうらしく放っておきがち、でも「放っておいている」という重しが心にずっとあっていい気分ではないらしい。ここ何回かは「この書類つくるのお願いしていい?」と頼んでくれるので喜んでやっている。新型コロナウイルスのワクチン予約とか。全然取れなかったけど。
せっかく異なる人間がふたりいるのだから、苦手なことは遠慮なくやってもらったらいい。これも人間の生存戦略のひとつだと思う。
 
「用事が済んだ記念に」と夫がコーヒーに誘ってくれたのでカフェに入る。
「紗季さんは宗教に明るくないって言ってたけど、自分はどの宗教の考えが一番合ってると思う?」と聞かれる。宗教という概念はかなり好きだがまったく明るくない。仏教、キリスト教イスラム教のうちどれが一神教かしか知らないし。強いて言えば多神教が好きだが。
イスラム教は人には生まれる意義があるという考えがあって、例えば目の前に車に轢かれそうな子どもがいたら、自分はこのために生まれてきたんだって命を投げ出せる人が多いよ。死ぬ覚悟が決まってる人が多いとも言えるかな」「この覚悟がそういう方向に決まった人がテロを起こして過激って印象になってしまうことはあるよね。もちろん医者として人を救うことが私の意義だと思う人もいるし、子どもの命を救うことがそうだと信じる人もいるよ」などと教えてもらい、それはそれとしてこんな知識がすらすら出てくる方に驚いていた。うらやましい。やはりお勉強は人生を豊かにする。
それはそれとして。新訳聖書を途中まで読んでいた時期があるが、おもしれ~と思わなかったのでキリスト教にはそんなにはまらないんだろうな。やっぱ仏教かな。
 
■6月30日水曜
またも持ち前の器用さで起きながらにして寝違えた、癖になっているのか。「人は体育座りをした状態から手と反動を使わずに立ち上がることはできない」という情報を得て、夫に披露している最中にやらかした。すぐに湿布を貼ってもらって安静にする。少し横を見るのにからだ全体を向けないといけない不便さを嘆く。
洗濯物を干すのやご飯づくりなど夫にやってもらう。これも本当にありがたいこと。コウケンテツ先生レシピのしゅうまいをつくってくれた。このレシピ、ほとんど餃子なのではないか。焼いてるし、「見てください、この焦げ目!」ってコウケンテツ先生言ってるし。焼き目がついた面を上にして盛りつけしてるし。醤油とラー油と酢で食べたらおいしかった。餃子じゃん。
 
寝違えると寝返りを打つのに一度身体を完全に起こしてから反対側に寝直さないといけない。ひとりでできるからまだいいけど、自分でできない高齢者の世話をするとなったら大変だろうな。床ずれは名前のわりにきつい病気だと聞く。
 
月末なので家計簿を締める。
夫の誕生月なのでそれなりの出費がかさみはらはらしていたが、鶏むね肉と豚ひき肉のおかげで最終的になんとかなった。外食も少しした。その上で今年の1月~5月くらいの貯金もできたのでよしとする、大変よくできました。
楽天ポイントが今月はそこまで貯まらず、1,000円ほどしか使えなかった。これでも充分なのだけど。
その他ポイ活は例月通り調子のよいものもあれば、そこまで伸びなかったものもある。とは言えこんな隙間時間のちまちまでお金になるものがもらえてありがたい限り。大事に使っていく。
 
ドラマメンタリストを見る。レッド・ジョン編解決。
先にwikiを見てレッド・ジョンの正体は知っていたもののどんな手順で解決していくのかは知らず、楽しみにしていた。
正体がわかってからの解決が1話だけだし、正体も追い詰めたというよりは相手方が自発的にお披露目してくれたし、撃たれて走って逃げるのを追いかける肉弾戦だし、あんまり知能犯っぽくなかったので残念。
孤高の頭脳派連続殺人犯かと思っていたら大掛かりな組織の大幹部らしいし、情報のもみ消しができたのもなんだかなあ。絶対に証拠を残さない狡猾さが売りというわけでもなかったのがまた、うーんと思ってしまう。金田一の少年で言うところの高遠遙一をイメージしていたから。
というか「大幹部のひとり」みたいなことを誰かが言っていたけどレッド・ジョンがいなくなっても組織は続くということなんだろうか。シーズン6の残りはその話だろうか。レッド・ジョンが組織をつくったのか、既存組織が彼を誘ったのかもどっちなんだろう。
なんにせよちょっと「えーっ」という感想を夫と話した。
 
■7月1日木曜
引き続き首を寝違えているが、痛みがだいぶやわらいでいたのでにスーパーへ行く。お会計を済ませ怒りの帰宅。怒りと言うほど怒ってはないけど、悲しいことがあったので夫に話を聞いてもらう。夫からの同意を得て満足する。悲しいものは悲しいけど、いったん気が済んだ。
 
ほったらかしているレッスンサイトから問い合わせが入る。もうなんの手入れもしていないのに、見つけて連絡までしてもらってありがたいことである。開催の方向で日程の調整をする。
11月ぶりのレッスンらしいができるだろうか。資料などよく用意しておかないと。
 
ドラマメンタリストを見る。
レッド・ジョン編の解決がいまいちだったのでこれ以降は蛇足ではないかと不安。おそるおそる見る。何話か見て、そんなに蛇足的つまらなさでもないかもと思い直す。リズボンとジェーンは付き合うんだろうか、どうかなあ。
アボットの吹き替え声優誰だっけ、という脳トレをした。「あの、ほら、SMBCモビットの人」と言ったら夫はわかったらしく、「”た”で始まる人」というヒントを出してもらう。20分くらい考え、最終的に下の名前の頭文字まで言ってもらってやっと「竹中直人」が出てきた。嬉しい。
「辛抱強く待ってくれてありがとね」
「ほんとよ。結構我慢ならなくて言っちゃう人も多いと思う」
本当にありがたい結婚である。
 
先日母と会ったときに「もう関東は梅雨入りしてるよ」と言われた。そうなの?
どおりで連日雨続きで、なんとなくからだもぼんやり重たいと思った。暑ければ頭痛が起きるけど、雨が続けばやはり血管が縮むか膨張するのか頭が重くなる。でも雨は降らないと困る場面がある。恵みの雨はゆっくり巡ってくるから。
と、言っても洗濯したいけど雨だし、でも洗濯かごはいっぱいだしというジレンマを抱えている。3日降ったらしっかりめに晴れてほしい。結局洗濯はしたけどもう全然だめ、ずっと濡れてる。
 
■7月2日金曜
もうこれを書いているのが7月4日に入ったところで、正直何があったか全然覚えてない。己の記憶力が心配。とくに変化のない日々をすごしているのも大きめの要因。覚えておきたいなら覚えておけるような日々をやっていかないといけない。
 
レッスンサイトに別件で問い合わせが来た。これもまたありがたいことである。まれにこういう感じで立て続けに連絡が入る。どういう巡り合わせなんだろうなあと思いつつ、粛々と返信し、日程を決めていく。とんとんと予約を入れてもらえるのはこの上なく嬉しいこと。
レッスンすること自体は嫌いではないのだけど、もう少し他の教えもできるようになりたい。収入にまつわる柱をどんどんつくっておきたい気持ちがある。いろんなことができるとおもしろいし、毎日違うことができて嬉しいから。変わっていくことへの抵抗がなく、これは同時にずっと同じ場所にいると飽きるということでもある。性格は変えられないからしょうがないね。
 
今日もずいぶんな雨が降っている。気が重たすぎて2回昼寝をした。夫ともどもぐったりしている。
月初なので銀行周りをしたいが雨の日は出かけたくないのでできない。天気予報を見るとたっぷり向こう1週間は雨予報。急ぐ用事ではないからかまわないものの、まだこんな体調が続くと思うと気が滅入る。雨は大事だが、日差しも同じくらい大事。夜勤にだって手当てがつくんだから。
 
夫がやっていたアプリアーチャー伝説をちまちま進めている。今レベル71、ダンジョンは11とヒーローの9。多分。
少し前からダンジョンのモンスターから卵をゲットし、孵化させて農場で飼えるようになった。小さい画面の農場にモンスターがうろうろしているのがかわいらしいのでまめにプレイしている。
今は7、8種類くらいのモンスターがいる。みな親の仇(卵は、そのモンスターを倒したときにドロップできる&孵化させるためにはそのモンスターを大量に倒さないといけない)の農場でどんな気持ちでいるのか。いずれは謀反してダンジョンに帰りたいと思っているのだろうか、それとも生まれたときから主人公の農場にいることを疑問には思わないのだろうか。
ペットたちに苦労はさせていないはずだが、気持ちを直接聞けるわけではないのでなんとなく気になる。私はこのペットらをしあわせにできているだろうか。せめて彼らが違和感がないといいのだが。
 
■7月3日土曜
サンキュータツオ『もっとヘンな論文』読了。
奇妙そうだと本屋で適当に買ったらやっぱり奇妙な本だった。本が奇妙なのかここに登場する研究者らが奇妙なのかはわからない。両方だと思う。
ここ数年、集中力や学力の低下から論文然とした論文を読むのが苦手なのでこうやって書き下し(語弊)てくれるのは嬉しい。読みやすい。まさしくあとがきにあるように「「こっち側」から「あっち側」へ皆さんを案内」してもらってしまった。
昔から研究者や先生という人種がなんとなく好きで、だからこういう本も自然好きなのだけど、今からでも自分がその道に進んでいくことだって当然できるわけで。この先生きていって、深く知りたいことができたら、この本に出てくる在野の研究者たちのようにどっぷり時間を使えたらいい。「これについてなら一生話せますよ」みたいな人生の持ちネタがないので、そういうものができたらいいいな、という半分程度祈り。
 
 
漫画『ワンピース』の51巻あたりから99巻まで家にあるので99巻の2話くらい読んだ。あらすじの段階で当たり前にみじんも話がわからないのでいちいち夫に聞いた。
「四皇って悪いの?」
「悪いよ、海賊だから」
「シャンクスも悪いの?」
「シャンクスは別」
「このキャロットはビッグマムの城でチョッパーと鏡の中で魔女と戦った人?(アニメ情報)」
「その通り」
「ペドロはビッグマムに落とし前か何かで寿命を奪われて、そのあとルフィたちが乗り込んできたときにハンプティダンプティみたいな人と庭で戦ってた?」
「完全にその通り。たまご男爵ね」
「それでなんでキャロットは「ペドロの兄貴の死がなければこんな戦いもなかった」って言うの?」
「それはね(詳しく聞いたけど忘れちゃった、要は弔い合戦らしい)」
「いちいち聞かないで最初から読めって思う?」
「思わないよ。読んではほしいけど」
「いい人だねえ」みたいな話をした。有名すぎてなんとなく食指の伸びない作品『ワンピース』。シャボンディ諸島でみんなが合流するとこまでは読んだ気がする。一応。
 
そのうち読む棚に置いてあった本の整理をする。1ページもめくってない本と、読み終わってもう1回読もうともって完全に忘れていた本が入り混じっている。読んだ本はカバーをかけっぱなしなのでどれが何なのかわからない、由々しき事態なのでカバーは一部残して処分することにした。読んだ本もいったんあらかたタンスにしまって、空いたスペースにゲームソフトを突っ込む。床面積が少し増えた。いいこと。
 
タンスにしまう前に「一汁一菜でよいという提案」を少し読んだ。
「庭の掃除を終えてすぐ木の葉が落ちても、掃除する前の庭に”戻った”のではなく、掃き清められた新しい庭に新しい木の葉が落ちたのです」という部分が好きだったのを思い出した。やり直しになるのではなくて、一見さっきまでの庭に戻ったように見えるけど、それは新しい変化ですよという諭しの文。
日常にもこういうことはあって、「ああもう!」と思いがちなんだけどそうではないよね、確実に前進しているよね、と励ましてもらっている気持ち。いい本はいつ読んでもいい。
 
 
おわり
 
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