日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

8月1日~7日 軽くて1辺が1kmくらいあるでっかい箱

■8月1日日曜
先月から続いた怒涛のレッスンが一区切りする日。どうして急に予約が入り出したのかはわからないけど、私を見つけて選んでくれる人がいるありがたさよ。半年くらいしたらまた今回くらい予約祭りになるかしら。
レッスンのあと久しぶりにひとりでカフェに入る。7月の振り返りと8月の年間目標を立てる。年間目標を毎月立て直し、達成状況によって内容を変えていくのが夫から「将来ファンキーなばあさんになりそう」と言われるゆえんである。そうだろうか。
目標立てをしつつ、どういう人生をやっていきたいのかあらためて考えた。自分が納得できることだけしていきたいし、納得できないことは何一つしたくない。楽しみに時間もお金も惜しみたくない。踊りたいときに踊りたい。私の心やからだの自由を、聖域として、私は守っていきたい。
 
夫と合流し軽めのデート。箸を買い、夫の友人への内祝いを物色する。晩ご飯によったラーメン屋を夫がいたく気に入ったようで退店するやいなや「おいしい、久しぶりに記憶に残るおいしさ。本当においしかった」と感じ入っていた。おいしいお店が見つかってよかったね。
 
本屋に行く。昼のレッスンでの利益をほとんど使った。このために働いているからよいのだけど、速さに自分でも怯む。
「本とCDと服はその場で買え」という父の教えがある。一期一会を大事にしろという意味。CDと服はなあなあにしている、本だけはさくっと買うようになった。読む速度と買うそれがまったく釣り合ってないが「本はあればいつか読む、なければいつまでも読めない」という屁理屈を支えにしている。あと「本は積んでいるだけで漢方のように何か効いてくる」というのも。
屁理屈の類語で「菓子はあれば食う、なければ食わん(だから買うな)」もある。スーパーに行くとよく唱える、お菓子を買いそうなときとか。
 
家計簿をつける。7月はよくお金を使った。外食の多さに加えて懇意にしているスーパーでキャッシュレス決済の恩恵がなくなってしまい、値引きもポイントバックもされなくなった。今まではポイントバックを含めてざっくり4%引いてもらっていたのに。食費は毎月何万かかかるのでその4%は大きい。7月なんかその4%があったら残金は倍近くになっていたはずで、悲しいこと。1月から6月までは恩恵にあやかっていたのでそれはとってもありがたいこと。
8月からはまた現金運用に戻す、キャッシュレスの甲斐がないから。季節柄エアコンで否応なく光熱費が上がるので食費は気をつけたい。
キャッシュレス決済用につくり直し、毎月改良を重ねていた家計簿をまた現金用に戻すめんどうさもまた悲しい。これが侘び寂びか、あるいは砂浜の城か。
 
夫への誕生日プレゼントをひとつ買った。蛍石という石を研磨するキットである。
帰って渡し、やり方の説明などをしたら「説明のpdfあるんだよね? 早くちょうだい!」と急かされた。勢いがあったのでちょっとうけた。pdfを送ったら即研磨していたのもうけた。
説明書的には8面すべての研磨を終えるのに1時間ほどかかるらしいのだけど、試しの1面を磨き終えるのに1時間かけていて、選んだ甲斐を感じる。出来上がりをさわると本当につるつるしていて笑ってしまう。となりの未研磨の面と全然違う。楽しんでくれているようで何よりだ。
 
引き続き漫画『ゴールデンカムイ』を読んでいる。おもしろすぎる。Twitterでは「谷垣ニシパ……」と遺言のようにだけ書いている。ツイートごとに三点リーダーの個数が違うだけ。
 
■8月2日月曜
夕方からやや特殊な用事。アンケートサイトで応募したイベントに参加できることになった。付き添いも1名までokだったので夫を連れて行く。玄関を開けた瞬間不快感の針が振り切れた湿度に襲われる。湿度、絶対に150%くらいあった。
 
道中のミスタードーナツがめずらしく夫認可システムだった。
潔癖のきらいがある夫は、昨今のウイルス蔓延によりパン屋類はひとつひとつビニールに入っているか店員だけが取れるシステムになっていないと買わないと心に決めている。そうでない店では私にも買ってほしくないらしく、ひとりで出かけたときなどは黙って買って帰ればいいものを、非認可店は選ばないようにしている。見上げた気遣いである。
感染せずに(あるいは無症状で)今まで来れたのはこういった夫の衛生観念によるものだろうか。「家に入ったらすぐに靴下脱いで」みたいなものはその限りではないと思うが。
 
時間になったのでイベントに行く。プレイベントのようなものなのでスタッフより再三SNSへの書き込み禁止、第三者へ話すのも禁止など注意を受ける。誓約書も書いた。
以前とある作品関連で、イベントAでイベントBの発表を大々的にする予定だったのに、イベントBを求める一部の人たちからの要望メールが大量に届いて通常業務に影響が出たことがあったらしい。それでやむを得ずイベントBとは明言しないけど、読む人が読めばそれとわかるように先んじてSNSで発表することになってしまったそう。匿名個人のTwitterに書かれていた話です。関係者への情報規制もしていて当日に向けて盛り上げていたのに、一部のすでに盛り上がっている人たちのためにそれを崩さねばならなかったのは無念であろう。
今のSNSは販促ツールも内輪のおしゃべりツールも兼ねているから一般人への情報規制って大変なんだろうな。
少し前にもホビー系雑誌社の人が転売を肯定する投稿をして燃えに燃え、最終的に退職することになっていたし。同業他社ではほぼ雇ってもらえないだろうし、これからどうするんだろう。いい仕事が見つければよいけど。
SNSなんて鍵かけてても誰かにばらされちゃうんだから不用意なことは書かないに限る。公開状態のブログを書くことへの戒め。炎上したくないし、炎上商法する人はすべからく苦手。
 
イベント後、アンケートを書く。参加人数はずいぶん多かったようだが退場はわれわれが一番最後だった。夫なんかは「もう少し書きたかったな」と言っており、こういうところがいいんだよなあとあらためて思う。快さの尺度が近い。
帰りの電車の中でいろいろな名前を出さないように感想をしゃべっていた。おもしろい経験ができてよかったな。またこういうものに当たったらいい。
 
■8月3日火曜
通帳ケースがほしい。先月あたりからぼんやり思っている。毎月の銀行回りのときに通帳を入れ替えたり、出し入れするお金を別で持っていたり付箋で分けたりがめんどうなので解消したい。持ち歩いている磁石付きのペンケースにもいつも怯えている。
実際に何度かその磁気のために通帳がだめになったことがあった。わざわざ意を決してATMに行ったのに到着したら磁気不良でだめでした、というのはかなりへこむ。再発行しに窓口がある銀行に行かないといけないのも大変。窓口がある銀行はどこも遠い。
先日楽天を物色してまあまあよさそうな通帳ケースを見つけたので覚えていた。
 
そういえば今月はお買い物マラソンはあるのかしらと楽天市場を見たらまさしく今日20時からだったので意気揚々と注文。しようとしてもしかして母もほしいのかなと思って連絡をする。「おもしろそうだから買ってもらおうかな」と返信があって2個注文した。おもしろさで買うあたりが似ている。母への誕生日プレゼントをまだ決めていなかったのでこれでいかせてもらうことにした。
お買い物マラソンと言っても通帳ケース以外注文しないので恩恵は特になかった。一応200円ほど値引きされていて、そこは乗っからせてもらった。
なんとなく明るい色に興味があったのでピンクと黄色を注文する。最初私はピンクを予定していて、母に色を聞いたらピンクがいいと言われてかぶったので黄色にした。あとは実物を見て決めたらいい。新しい財布を赤にしようとしていたことも思い出した。
 
今の財布は4、5年使っていて、元は青かったのだけどずいぶん茶色くなった。藻を思い出すカラーリング。新品のものを見るととても同じデザインとは思えない迫力がある。内側の箔もほろほろ剥げてしまった。
使いこんでいるおかげで革は鼻セレブ並みにやわらかい。が、ちょっとかっこよくないのでそろそろ新調を考えている。ただ夫に誕生日に買ってもらったもので捨てるのは忍びない。でも取っておけばかびてしまう。処分の気の重さを思うとこのまま買い換えない方がいいのか。多分年内には買い替えるんだけど。気持ちが向いているから。
財布はこのブランド以外ではもう買わないかもしれない、そういう店。誰もが知っていたり、持っていてうらやましがられるようなブランドではない。でも私は、心が続く限りここを選んでいきたい。デザインのおもしろさと使い勝手の良さがある。
 
恒例の月1体重測定。十中八九嘘なんだけど体脂肪が突然目標値を切った、1ポイントも下がっている。どうして。この1ヶ月毎晩マウスウォッシュをする30秒間腕を回していただけなのに。まあ嘘だからいいか。来月も再来月もこのくらいの数字なら本当かもしれない。そうしたら体重計を信じようかな。あんまり痩せた感じはしないがまあ何かが変わっているんだろう。
1回ちゃんと体組成計で測る方がいいんだよな。
 
買い物へ行った。きゅうりが9本で200円しなかったので夫の好物のちくわきゅうりを12本こさえた。晩のうちに7本なくなった。漫画などで霊的な力でお供え物が一瞬でなくなる描写を見るが、それに似てる。いつのまにかなくなっている。そんなに好きなものがあっていいね。つくるの楽だし。
夏のきゅうりは水分補給にいいと聞くから食べてもらえるならいいことだ。ちくわもたんぱく質だから食べすぎてからだに悪いこともないだろう。これがポテチとかだとちょっとまずいが、どこまでいっても野菜と魚。
 
母から「好きそうな番組あるよ」と連絡を受けたドキュメンタリーを見る。「69歳女装家の終活」みたいなタイトル。好きじゃないドキュメンタリーって多分ないんだよな。人が苦悩して生きてるの大好き。
キャンディさんは40年ほど前から女装をしている生粋の女装家で、奥様とは離婚している。今は肺の病気のために医者から「早くて4年、長くて7年」と言われている。それから2年が経った。
女装は幼いころからしていた。お姉さんの服をトイレでこっそり着ていたそう。20代はバイクにはまって女装をしなくなった。「卒業できたんだと思ってた。でも松田聖子ちゃんが白いドレスでテレビに出ているのを見て、着たいって思ってしまった」それでまた女装の道に入り、今に至る。
奥様にばれてしまい、「女装か家族かどっちを取るの」と突きつけられて家族を取った。でもやめられず、のちに離婚。3人の子どものうちふたりの親権を奥様が、ひとりをキャンディさんが持った。末の息子がインタビューに出ていたのでキャンディさんが親権を持ったのはこの子なのだろう。
「依存症の定義ってなんなんだろうね」と夫が言う。「キャンディさんは依存症だと思わないけど、女装をやめられなくて家族が崩壊したのは事実じゃない。これがお酒やたばこやギャンブルならきっと依存症って言われるよね。どこが区切りなんだろう。医学的には日常生活を送るのに支障があることと言われているけど」
このときは答えられなかったけど、自分が望んでやっていて、なおかつ楽しんでいれば依存とは呼ばなくていいのかなと今考えた。楽しくてやめられないならそれがその人の天命というか天啓というか、それらに準ずるものなのだと思う。
依存症でもなんでも価値観のひとつでしかなくて、自分や周りがそれを受け入れるかどうかなんじゃないのかな。「人の顔色うかがって生きるのはもういやだけどしみついちゃってやめられない」のと近い話に感じる。
 
■8月4日水曜
漫画『ゴールデンカムイ』の最新話に追いついた。谷垣ニシパ……といううめきはまだ続いている。谷垣ニシパ……。
いやしかしこれまじでほんとおもしろいな。買っちゃおうかな。肝の据わった人間や運命を変える覚悟を持った人間大好き、知恵のある人間も大好き。とりあえず2周目を読み始めている。
9月何日かまで全話無料公開されているのでこの機会にぜひ。人がたくさん大変な死に方をするので苦手な人にはおすすめできないですが、そういうものにあまり抵抗がない人はぜひ。
 
日露戦争帰りの杉元とアイヌの少女アシリパが、アイヌの残した金塊を探す冒険譚です。谷垣ニシパは5話か6話あたりの早い段階で出てきますのでどうかよろしくお願いします。
 
めずらしくサイトにスパムじゃない問い合わせ。レッスンに関する話で、おもしろそうなので明日話を聞くことにした。お互いの利害が合うとといいな。
それとアンケートサイトでオンラインインタビューに参加できそう。時間は30分と短いけど調子がよければ500ポイントもらえるらしい。ありがたいことだ。
年始の映画無料券から始まり、プレイベント、オンラインインタビューといろいろありがたい当たりが続いている。母に「車に当たらないように」と注意を受ける。こういう注意を促してくれる人がいることもまたありがたいこと。よいことが続くときこそゆっくり慎重にやっていかないといけない。
昔からお菓子や自販機の当たりが出る方だったし、どんなことでも最終的になんとかなってきた。自分は運がいいのだと思ってきて、その運の大本は母親にあると考えている。母自体がくじの当たりこそ引かないものの「最終的になんとかなってきた」の見本市だからそういう人に育てられればこうなるのは通りである。運の良さは考え方の向きだから。「あのときは大変だったけどまあ無事終わったからいいよね~」みたいな人。私も「まあ生きてるからいいか」のタイプ。
死んでそこですべて終わるより生きていろいろ経験する方がいい。良いことも悪いことも。もちろんすべての人にとってそれが望みだとは思っていません。死ぬのは気概次第でいつでもできるけど、生き続けるのは今じゃないとできないので、私にはそちらの方が大事。
 
夜聴く音楽を入れ替えたくてふと崎山蒼志を思い出す。むげんという曲がすごくいい、作業用で聞き流すのがもったいない。世界にはまだまだ美しい言葉があふれている。嬉しいこと。
 
Huluのドキュメンタリー、「ギャンブル依存症の高齢者」を見る。好きそ~。
年金生活の高齢者が消費者金融で借金をして、年金支給日になるや否や全額返済に充て、また4万ほど新たに借りる。その4万はすぐギャンブルに使ってなくなってしまう。家賃は半年滞納、電気代はなんとか払っているが水とガスは止まっている。もう10年以上こんな生活をしている。家族はいたが離婚している。
少し年の離れた兄がいて、定期的に食料を持ってきてくれる。家にまな板はなく、料理場に直に魚肉ソーセージを置いて切り、醤油を水で薄めたような茶色い湯にくぐらせて米を食べる。ガスは止まっているので湯はホットプレートで沸かす。
インタビューを受けていた医師が「孤独の病」だと言っていた。確かに友だち同士で待ち合わせてギャンブルしに行く人たち、というイメージはない。ひとりで行って、ひとりで勝ったり負けたりして、ひとりで帰る。そういう姿が頭にある。孤独の病だからこそインターネットが発達した昨今、一度はまると加速度的に身を持ち崩すのだろうか。ギャンブル依存症の治療を受ける人は年々増えてきているというデータも公開されていた。
 
その人は兄や子どもの勧めで治療センターに入院か通院ができることになった。生活保護を受け、治療費も免除してもらっていた。自分が払っている税金はこういうところで使われている。1日3食、白米やあたたかい味噌汁、温泉卵、のりなどを食べさせてもらえる。カルチャースクールのようなところで粘土で何かつくる姿もあった。新たに借金をつくることもなく返済が終わり、自宅で食事をつくるようになった。
「食材なんて何年ぶりに買ったかなあ」「子どもたちが一緒に買ってくれてね」と肉のパックも見せてくれた。家の中はずいぶん片づき、窓からはあたたかそうな陽が入っていた。
昨日のキャンディさんの話を思い出すとこちらはやはり「依存症」なんだと感じる瞬間がある。光熱費や家賃の支払いができないこと、食事のためにお金を取っておけないこと、借金の自転車操業になっていること。キャンディさんも切り詰めた生活はしているけど野菜を取ったり食事はしているし、仕事もしている。趣味にお金を使いたいから節約する。理解できるロジックの中で生活していた。
ふたりを見てお金の使い方に大きな差を感じる。ギャンブルでも女装でも、先に趣味のためにお金を使い切って自分の生活が二の次になっていくと依存症の信号がつくのかもしれない。貧困問題も絡むし。
 
映画「岬の兄妹」で障害を持つ妹が兄の指示で売春し、そのお金で兄妹は何日かぶりに食事をする。選んだのはマクドナルドで、バーガーもポテトも大量に買っていた。米など日持ちするものを買う方がいいと私なら思うけど、彼らは目先の困難だけを解消するためにお金を使った。貧困に陥ったとき、人は視力を失う。
 
■8月5日木曜
通帳ケースがもう来た、早い。ピンクと黄色で皮の手ざわりが違って、色味や光沢感はピンクの方がよかったなあと思う、母はどちらを気に入るだろう。使い勝手はよさそう。
 
手塚治虫ブッダ4』と『火の鳥3』を読む。前者は波乱の種がまかれつつある、ついに成長したダイバダッタも登場した。意外と品のある人に育っているけど今までどこにいたんだろう。元王族の妻だった老婆の死を看取ってからのことも描かれているんだろうか。『ゴールデンカムイ』の尾形を思い出す、境遇が似ている。
 
「我思う、ゆえに我在り」とデカルトは言うが、人間は他者からの認識によって存在を認められると思う。
以下の記事を読んだ。昨年11月に亡くなったホームレスの女性の生きた痕跡を追った記事。記者の執念が色濃く漂っている。
亡くなった女性について職場の人や家族、同級生、若いころ所属していた劇団のオーナーなどから話を聞いた。どの人も彼女をとても快く思っていて、「もっと気にかけていたらよかったと」と後悔している。
デカルトはあんなことを言うけれど、承認欲求など他者から認識してもらうことで自分の精神が保たれることはよくあるわけで。「我思う、ゆえに我在り」だけでは人の心は保てず、だからこそ他者に自分の存在を認めてもらって社会的な命を得ないといけないのかな。亡くなった彼女も肉体の命はもうないけれど、人の意識の中にはまだいるんだもんな。
「人は二度死ぬ。一度目は命を失ったとき、二度目は人々に忘れ去られたとき」という格言もある。
 
 
忘れてた、打ち合わせをした。めずらしいこと。
オンラインでレッスンどうですか、という打診だった。申し込みの締め切りまで猶予があるので考える。私が何かやってもいいし、夫がやりたいならやってもいい。せっかくだしライトなレッスンを用意してみるのもいいかもしれないなあ。
昔、占いで「あなたの生き方は無駄のない生き方をするね」と言ってもらったことがある。知見を適宜活かしていけるという意味で解釈している。実際こうしてレッスンをやらせてもらったり、細々とお金につながることができている。本当にありがたいことだ。
 
■8月6日金曜
夫の通院の日。付き添い失敗、起きたら出発時間だった。夫も同じ時間に起きて診察時間をずらしたのだけど、結局なんやかんやで出発に間に合わなかった。無念。せっかく起きて食事までしたのにその後昼寝をした。久しぶりの昼寝。
 
アンケートサイトのアンケートが少ないとなんとなく休日かなと思う。噂によると祝日らしい。本当に?
 
アニミズムってなんだっけと急に思って調べる。万物に神が宿るという精霊信仰を指す。アイヌ文化にも強く根差している。
「これ自分の宗教観にめちゃめちゃ近い気がする!」と夫に言ったら大変きょとんとした顔で「え、うん。僕もだよ。日本の八百万思想ってそれだから」と言われた。こういう腑に落ちる体験がないと人は学ばないし、こういう経験で得た知識は忘れない。これでもうアニミズム思想のことは定着したし、人に聞かれても説明できるようになった。いいことだ、また知見を得てしまったなあ。
 
保管してあった新聞を見る。
九州のどこかの自治体(2020年か2019年に大雨災害があったところ)が障害者や高齢者家庭の避難計画を立てた。多分1軒ずつ。体重40kgの障害者の計画を立てるときに「おんぶで大丈夫だろうから人員はひとりでも大丈夫だよね」という内容で決まった。周囲も同意していた。
立てた計画で問題ないかを確認する訓練の日、40kgの人は腕の筋肉が衰えていておんぶをしてもらっても背中につかまることができなかった。これが訓練でよかったね、という話。
私は弟はいるけどそんなにおんぶとかしてこなかったし、年頃になってからはなおさら。血縁以外にも他人をおんぶしたりお姫様抱っこをする機会もなかった、逆もまた然り。夫を転がすことはしばしばある。忖度パワーのおかげで大して力を入れずに転がってくれる。
人が人を抱えるには、抱えられる側からの協力も必要とよく聞く。今回の人の障害の程度は想像の余地があるが、軽くても抱えられないのはある種禅問答めいてるな、と思った。あとめちゃめちゃていねいな自治体。
多湖輝『頭の体操』に同じような問題があった、重量上げ世界王者が持ち上げられないに小学生ふたりで持ち上げられるものな~んだ、みたいな問題。めちゃめちゃ軽くて1辺が1kmくらいあるでっかい箱、という答えだった。向かい合う2辺から力を入れれば持ち上がるとのこと、本当かなあ。
 
■8月7日土曜
日記が間に合ってないので急いで書いている。もう8日の4時になる。今日何をしていたかまったく覚えてない。
久しぶりにこういうアクセサリーがほしいと思って、どうやったら近いものがつくれるか考えた。今のところとくに案はない。これまでに自分がつくってきたアクセサリーを思い返すにつれ、つくるものの統一感がなかったなあと思う。もう少し素材を絞るとか色味を絞るとかしてもよかった。後の祭りなので別によいが。
こういう気づきもまた学びである。この先あらためてブランド活動をするときにきをつければいい。
 
アニメ版ゴールデンカムイをちらちら見る。原作も2周目を読んでいる。あらゆるアニメにあまり興味がない。というかあらゆる「原作」が好きだからアニメを見るなら原作を見ていたい。アニメが原作なら喜んで見る。続き物の映像を見ているのは結構大変だと感じる。
 
昨夜、かなり悲痛で大掛かりな事件が起きた。私の身の回りの人はその近隣にはおらず、身内で怪我をした人はいない。怪我をされた方々や間近で見た人たちはどれほど怖かっただろうか。これからの日常生活への支障なども含めて暗い気持ちになる。
加害者が逮捕され供述が取れてから、加害者に関するツイートに対して派手に噛みつく人を何人か見た。加害者を擁護するのか、といった内容で。私が見る限りでは加害者を擁護している内容には取れなかったが、それはさておき。
世の中から「被害者を減らす」ためには「加害者を減らす」必要がある。供述を見る限り今回の加害者は社会の負の面を多く背負っているように感じられた。そうなるとただ「被害者を減らそう、街の警備を強化しよう」ではどうしようもならない。根本的に加害者を減らさないと。そのために社会ってどうなったらいいのか、という話になってほしい。
まあこういう犯罪が起きる社会にしたのは投票権を持つ私たち大人全員なのでみな等しく同じだけ罪があると思う。
 
私は女性の肉体を持っているが、肉体が男性であることのメリットに「レイプされても妊娠しない」ことをぶっちぎりの第一に挙げている。今回の事件で「ナイフを向けられる可能性が減る」も台頭してきた。前者は妊娠することで望まない子どもという存在が新たにできるのがかなりきつく感じる。
と言っても、「じゃあ男性の肉体にしてあげようか」と聞かれてもそれはまったく考えておらず、女性の肉体を気に入って生きている。まわりの男性に男性であることを楽しんでいる人がいないのが大きい。
 
さすがに5時なので終わり。
 
おわり
 
 
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