日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

1月9日~15日 「腕をもう1本生やせ」と命じるような

強迫性障害の本を買ってきた。とりあえず4冊、合計6,000円。永久不滅リサーチを元手にしたPontaポイントにまたお世話になった、こういうとき本当にアンケートサイトをやっててよかったと思う。
 
■夫が潔癖症、もとい強迫性障害で症状が治まってほしいと思っている。なぜならこちらへの動作の要求が多く、めんどうだから。なのでこちらに風呂に入ってくれとか手すりをさわったら手を拭いてくれとか一切言ってこないなら好きにやっていて、というスタンス。
 
■少し前に「強迫性障害ってただの特性で、個性の一種なんじゃないのか」と考えた。私が持つ「やや高所恐怖症」と同じ枠に入るのではと気づいた。私は高いところが苦手だ。あまねく屋上の鉄柵に近づきたくない。なんとかタワーと銘打たれた展望台にある、一部ガラスの床に恐怖する。こういう人は少なくないはず。
この高いところへの怖さは夫の「目に見えないウイルスが怖い」のとそう遠くない。これという明確な理由はないけど、ただ怖い。本能的に無理。
 
■で、思った。
高所恐怖症がある程度個性として世間に受け入れられているなら、強迫性障害もそうであって然るべきじゃない? と。
私が高いところが苦手だからと言って、夫は「克服していこうよ!」とは言わない。私は夫の強迫性障害に対して「なんとかならないの?」と怒りを携えて詰めるときがある。その怒りはものすごくよくないことで、「個性としての強迫性障害を治せ」と言うのは「腕をもう1本生やせ」と命じるような無理難題さなんじゃない? と。
 
■それと同時に気づいたのだけど、私は高いところに行きたくない。それを夫に強要はしない。「土台のネジが1本折れたら死ぬかもしれないから高いところには行かないで」とも言わない。展望台を最初から最後まで一緒に楽しむのは難しい、でもやれる努力はする。開けるところまで目を開く、行ける限りの端までは行く。たまに全然だめで諦める。やっぱ怖いし。上に行くほど足場が減っていく建物とかまじで最悪すぎる。
一方で夫は、外に履いていった靴下を家の中で履かないで、すぐに脱いでと言う。外に出たときは人とすれ違って汚いから必ずシャワーを浴びてと言う。相手に対して動作の依頼(ものによっては強要)があるかどうかが私の高所恐怖症との大きな違いだろう。夫の方は他人の行動も許せない点で病名がつくものなのかなと思った。
 
■今までは強迫性障害を一方的に嫌ってなんとかせえと言うだけだったけど、歩み寄りの姿勢としてかなり間違っていることにやっと気づいた。まずはそれが病気であるとこちらも認識して、どういうものなのか学んで、その上で対策を練っていかないといけなかった。他のことではできてた気がしたんだけどどうしてここに関してはできなかったんだろう。動作の強要の多さ(さらには動作を拒否したときの夫の動揺、へこみなどメンタルケアが必要なのがめんどうだった)が嫌だったんだろうな。望んでいないことをやれと言われてやるタイプではない。やるたび金銭が生まれるなら考える。
 
■というところまでなんとか書いた。今週は久しぶりにお友だちと会ったりレッスンがどさどさあったりとイベントがあった。でももう時間的に書けない。
 
■小学生向けドリル解くのを再開した。社会科の農業についてやっている。「うねは水はけをよくしたり風通しをよくする」と書いてあって、種を植えた場所がわかるようにじゃなかったのか……と学んでいる。高速道路はすべて国道らしい。世の中知らないことばっかりだ。
 
中上健次の『枯木灘』読んでいて、32ページ時点で登場人物が20人近く(しかも9割以上血縁)がいてメモしつつ読んでいる。こんなの頭から煙出るわ。20人と言ったらうちの父方の親族の人数に近い。夫、よく1回の法事でほぼすべて親戚の名前覚えられたな。
 
■とりあえず今日はこのくらいで。今読んでる強迫性障害の本のリンクだけ貼っておきます。これとってもおもしろいです。
 
 
おわり
 
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