日曜日の朝

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2月20日~26日 国税庁とLINEでつながって

■カフェで適当に座ったら、となりの無人卓に白い粉が散らばっている。途中薄いところはあるけど粉は円形を浮かび上がらせている。カフェだしグラスの形だろう。と思いつつ無人なのをいいことにじっと見ていると、円というより楕円であると気づいた。
円だと思っていたときはグラスに砂糖でも入れようとしてぶちまけだのだろうと予想していた。しかし楕円となるとその予想は途端に外れてしまう。楕円形のグラスなんてこのカフェにはないから。となると、かつてとなりにいた人は一体何に何の粉をぶちまけたのか。
粉はほんのりクリーム色にも見える。粒も小さい。クリープだとしても、ホットコーヒーに入れようとしたのだとしてもやはりカップは楕円ではない。こういうときにひとりでも粉をさわったりなめる勇気があればと思う。ひとりだとまじでやばいときに困るのでできない。
 
■人がいればさわって嗅ぐくらいのことはする(人は集団のときにこそ我が出ますね)。最近は夫がとなりにいることが多いので止められるからしないことが多い。
 
■ピザを食べながら若い男がめちゃくちゃに動くDVDを見た。友人の推し俳優を見る会である。演じるって不思議だ、どんなきっかけでどうして演じよう魅せようと思うんだろう。毎月のことで体調がよくなく、途中寝てしまったのですまないことをしたなあとほんのり後悔する。
2.5次元舞台と見せてもらったのだけどあれは原作に親しんでいる人が見るものなんだろうな。話に集中すればいいのか友人の推しを見ればいいのかで揺れる。
 
■確定申告の準備。正確には医療費控除の準備。去年の医療費はおおまかに計算してあったのでそれを元に申請書づくり。ついでに必要かどうかはわからないけど税金関係の支払い用紙もまとめてファイルに入れておく。要所にふせんでメモもしておく。夫は確定申告というものに怯えている。どれだけ税金に手心を加えてもらえるかもと言っても手を出そうとしない。
準備を進める私を見て、「紗季さんがそういうのまめで本当に助かった……」と結婚して以来何度目かに言われる。そうでしょう、楽でしょう。あなたいい結婚をしましたね。ちなみにこの構図は私の父母とまったく同じである。父もこういった事務作業はかなり苦手(というか興味がない)なので母がすべて担っている。私はそういうものが苦にならないし半分楽しんでいるけど、母がどうかは知らない。
国税庁とLINEでつながって相談枠を予約する。完全に令和。「枠が余っているところは人が少ないから感染対策的に嬉しい」という夫の要望で予約を取る。その日は私が仕事なので夫にひとりで確定申告に行ってもらうことになる。それを踏まえて「この日でいい?」と確認すると「僕は確定申告に関わりたくないから、この日に行ってと言われたらその日に行きます」と肢体を放り出していた。夫のいいところはこういった書類の準備を自分でやるのはめんどうだから後回しにするけど、お膳立てさえされれば窓口対応はきちんとやってくれるところである。私は窓口対応するのがかなりめんどうなので助かっている。人の話をまじで聞いていられない。
まとめた書類の説明をして、税務署へのアクセスや当日の乗り換え情報、どの出口から出るといいかなどすべてまとめて夫に送る。あなた本当にこんなまめな人と結婚できてよかったねとしみじみ思う。
「お風呂入らないでみすぼらしい格好で行ったら? 優しくしてもらえるかもよ」と言ったら「人間というものをわかってないね。人間は弱い者やみすぼらしい者には石を投げていいと思っているから税金搾り取られるよ」と返ってきた。それもそうか。
 
■確定申告は無事に終わり、私の仕事もタイミングよく終わったので待ち合わせしてお茶をした。
本当はカフェで仕事しようと資料を持ってきていたのだけど、やりたいのと違うものを持ってきてしまいできなかった。私はただカフェで本を読みに来ただけの人。
 
■確定申告イベントのあとに入ったカフェで大福のパックを開けている女性たちを見た。退店時のことだった。大福?! スタバで?!
その卓から少し離れてから夫に「今の人たち大福食べてたね」と小声で話を振った。夫は気づいていなかったようで、忘れ物を確認しに行く振りで見に行っていた。「完全にやってます、大福食べてますよ」と報告された。
もう閉店の時間だったので店員さんがその卓に声をかけに行く。大福の注意をするのか注視していたらそこにはふれず、閉店のことだけ伝えていた。それにしてもスタバで大福かあ。やるなあ。
 
中上健次枯木灘』をやっと読み終わる。読んでから三部作の真ん中に位置するものだと知る。だから解説で『岬』の話や「秋幸サーガ」という言葉が出てきたのか。
終始土着の血の話。血族に起きる大小さまざまな事件のこと。事件はすべて同じ家系の中の似た関係で再現される。死ぬものがいて生まれるものがいて、殴る者と殴られる者がいる。歴史がずっと繰り返されていく。家族の誰かが行ったことをまた別の家族が行う。その連鎖に気づき断ち切るために、何度もなんども事件を繰り返す。路地というごく小さいな世界で。
秋幸が竹原というそれなりによさそうな家に入ることになっても事件は終わらない。竹原の血は秋幸のからだに流れない。秋幸のからだにあるのは浜村と西村のものしかない。どれだけ秋幸が真面目に勤めようとしても必ず血が邪魔をする。秋幸は浜村の血を途絶えさせるために弟を手にかけ、自らを「路地の子」と自称する。これで路地の歴史が変わっていくだろうか?
なんにせよ『岬』『地の果て・至上の時』も読む必要がありそう。家系図に大差ないといいんだけど。
 
 
■原井宏明・岡嶋美代『図解 やさしくわかる強迫症』読了。夫の強迫性障害を理解しようの会・4冊目。手持ちの強迫性障害関連の本はこれで終わり。
何冊か読んできて強迫性障害は自己肯定感のなさというか、他者から強く責め立てられたり強い罪悪感の経験によって儀式が悪化していくのかなと思った。とくに確認恐怖が。ミスしてもトラウマになるほど詰められたりしなければ、一般的な「次から気をつけよう」とか「こういう工夫をしてみよう」という反省で終わると思う。でもそのときにめちゃくちゃにつらく責められてしまったり「自分はいない方がいい」というくらい思い詰めてしまうと過剰な確認に発展していくのかなあと。
本書の確認恐怖の項には「自分自身の評価が下がることを恐れる」「ランキング恐怖(周囲から無能と思われることを恐れる)」などとも書いてあった。これがずいぶん前に書いた「しなやかマインド」と「膠着マインド」のうちの後者に似ている。膠着マインドも自分の能力が低く見られるのを嫌がったり、他者から無能と思われるのが嫌だから挑戦をしない(=もうすでに「できる」とわかっていることしかしたくない)。このふたつは少し似ている。こと夫に限って言えばそう遠い考えではないと思う。
疫病恐怖も「自分が重症になって動けないのに周りの手を煩わせながら生きながらえること」に恐怖するらしいし。自分という生き物が社会や他者によって存在を許されていないと思うのかなあ。そうだとすればそのきっかけはやっぱり他者から強い糾弾なんじゃないのかなあ。
とか言ってまじの素人考えなので全然違う可能性も大。
 
いろんなジャンルの強迫性障害の本を読んで少しずつだけど病気のことを知れてきていると思う。
どんな考え方をしているのかとかどんな声かけをしたらいいのかとか、今までのこういう対応はよくなかったときのがわかってきている。少なくとも一歩は前進できている。理解しようという姿勢を持てていることがまず最高にいい。
ただ治療するとなると私の頑張りよりも夫の気持ちが重視される。現状セルフERPは進んでいる。たまに状況を聞くと「我慢できたことのメモは減ってきてる。我慢したことに気づかなくなってきてる」と教えてくれたりする。確実に進んでいるようなので、引き続きうるさいことを言わないように気をつける。
 
 
■「手を拭いて」「お風呂入って」と言われると(さらにそれを断った不機嫌になられると)表には出ないがかなり直接的に「汚い」と言われるのと同じなので、まあまあ傷つく。最適な言い方ではないけど気持ちの動きとしてはそう。拒否されているなと感じる。
と伝えたら「拒否や拒絶をしているわけではないんだけど……」と。だからと言って決して受け入れているわけでもないのを知っている。
同居人が汚いのはそりゃ本人にとってはつらいだろうが、全身でもって「あなたは汚い」と表現され続けるこちらの心にも気を向けてほしいよなあとたまに思う。
 
■などと思っていたら縛りがひとつ緩んだ。なるほどこれが以前夫が「理解・共感されることでありがとうという気持ちがひときわ強まった」と言っていたときの感覚か。
 
■今年1年かけて少しずつ儀式が緩んでいったらいいな。
 
中村文則『その先の道に消える』読了。
今週読んだもので一番難しかった。いきなり「第一部・完」と出て「どういうこと?!?!?!?!」と目を白黒させた。わからなずぎて一気に読んでしまった。読み終わったのに「結局のところ……?」という気持ちもある。やっぱ2周目がおもしろいのかな。
中村文則作品はこれで3作目くらいか。毎回似たような読後感を味わっている。話が複雑で、濃い闇を持った人も多くて、なんなんだこれはと様子見しているうちに終わってしまう。ずっと狐か霧につままれている気持ち。なかなか他では味わえない。話をわからずに勘で読んでるだけと言われればそれもそう。
何はともあれやはり『古事記』は死ぬまでに読まないとなとあらためて思った。買うだけ買っておくか。手元にあればそのうち読むし、読む前に死んでも誰かもらってくれるでしょう。
 
夫に「中村文則読んでるんだけどさあ」と話しかけたら「誰?」と言われてたまげたという小話。『教団X』の人と補足したら「聞いたことあるかも」と何か引っかかっていた。気が向いたら読みなされ。
 
 
■先月の大きめのけんかから1ヶ月以上経った。気持ちはずっと安定している。朝洗い物が溜まっていてもどうとも思わない。昨日頼むの忘れたなと思い出すだけ。
けんか後の蜜月期のようなものかもしれない。でも自分の道徳心とか、何か人間的な部分がレベルアップしようとしている。せっかくの芽が枯れないように適度な手入れをしていきたいな。夫婦関係がどうとかの前に、私自身のために、私はいい人間である方がいい。
 
おわり
 
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