日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

3月27日~4月1日 虚栄心が求愛行動でもしてんのかよ

■5年ぶりほどのネイルに行く。日ごろ乗らない電車で降りたことのない街に行く。冒険である。いろんなジェルを見せてもらってこの色をここにしたらどうか、こっちにしたらどうかを言い合う。こういうのすごい久しぶりだなあ。丸1ヶ月伸ばし続けた爪をやっと短くできてすっきりもした。手元がきれいだとやっぱり気分もいい。毎月でなくてもたまにはできたらいいな。
 
■今月の光熱費が口座残高から500円はみ出すことがわかったので入金しに行く。500円ならがんばりたかった。どうやったら光熱費を500円分削減できるのかわからないけど。悔しい。先月は400円はみ出た。とは言え先月は暖房にしゃかりきやってもらっていたので別にいい。
入金がてら気になっていたカフェに行く。600円。先の光熱費と考えて何かに気づきそうになるがそういうのはもうやめた。お茶代は自分の私財からより分けて置いたりこつこつ稼いだ分。光熱費は家のお金。私の時間は私のお金で充実させればいいし、家のことは家のお金で回せばいい。
こういう区分けの考えはあらゆる場面で大事だなと思う。
 
■夫から借りた『マインドセット 「やればできる!」の研究』を読んでいる。
人には「硬直マインドセット(人の能力値はすべて固定で、どれだけ努力をしてもその数値は変わらない=努力は無駄派)」と「しなやかマインドセット(人の能力値はすべて、努力によって伸ばすことができる=努力次第でどこまでも行ける派)」の2種類のマインドセットがあると説く本である。
対人関係の項である夫婦間に起きた不貞が事例として取り上げられた。夫が不貞を行ったのである。そこに「パートナーが変わるとどれだけ信じていても、パートナー本人が変わりたいかどうかは別。パートナー自身の変わりたいという意思、行動が必要」と書かれていた。基本ずっと忘れているけどこの考えはすごく大事なんだよな。
崩れかけた関係の中にいる修復を望む者と望まない者とでは、圧倒的に後者の方が強い。努力することもなく周りが勝手に変わっていってくれる。こんなに楽なことはない。対人関係で「変わらない」というバトルスタイルは最強(最強であるがゆえに失うものも多いが)。
だから修復を望む側は相手に変化の意志が見受けられないならそこで終わっていい。しがみつき続ける必要はない。
 
■「許すことは自分が損をしたまま手放すこと」とSNSで見かけた。片づけるのと同じなんだと思うとうだいぶしやすく感じた。許せないと感じるものが私にもたくさんあって、つい尖った正義感で是正したいと思ってしまう。でもそんなことしないでいい。是正しようとしたところで変わらないものは変わらない。それはそれでいい、そういう選択を望んで取っているんだから。
変わりたいと願う者だけが変わっていけばいい。私はどこまでも変わっていきたい。損をしたまま手放し、その分の成長をしていきたい。
 
■3度目のワクチン接種。初めて行く病院。受付も医者も雰囲気のよい人でよかった。スーパーが近かったのでポカリとゼリーを買った。
接種6時間くらいで腕が痛み出し寒気も少し、12時間くらいで発熱。冷えピタを貼ってもらったり薬を飲んで早めに布団に入るものの暑さやらなんやらで何度か起きた。このころは38度出ていた。しばらく夫がゲームしているのを見て、また寝て、朝起きたら平熱近くまで下がっていた。ご飯を食べて少し起きてまた寝て、昼ごろ起きたら腕の痛み以外の副反応がなくなっていた。ちょうど接種から24時間くらい。彗星の速さで終わった。
副反応が2日近く続いた夫が「もうなんともないの?!」といたく驚いていた。果物ゼリーやゼリー飲料を用意していたのに食べるタイミングを逃したので、元気になってから夫と一緒に食べた。食べながら「看病らしい看病を全然できなかった」と夫が言っていた。冷えピタ貼ってもらって体温計の写真を撮ってもらって布団を整えてもらったので十分ですわ。
 
■アサツグトリをプレイしている。いきなり主人公以外の人が7人登場して名前が全然覚えられない。名前を言われれば顔は思い浮かぶけど逆ができない。脳トレとして楽しんでいる。
推理パートが逆転裁判で見覚えがあったので「”真の凶器はうどん粉”じゃん!」と盛り上がった。逆転裁判もやり直したい。
 
■断捨離は引き続き進んでいる。引っ越し当初に母からもらうも押入れにしまいっぱなしだった皿群。使ってあげられたらよかったけど、このまま持っていても使う予想が立たないし、使ったとて食器棚に置き場がない。日用品なのだから使ってなんぼ。使えないものを持っていてもすまない気持ちが募るばかりである。
使っていなかったけど色味が好きで持っていたアイシャドウもいよいよ処分する決心がついた。今までよく使った。写真も取ったし納得して手放すことができた。手持ちの化粧品が減ったので収納場所を変えた。押入れ下段の棚の下でふたつきの箱に入れていたのを、棚の上のふたなしケースにスキンケア用品と一緒に置くことにした。今までの箱が絶妙に手を入れづらく取りづらかった。微妙な不便がなくなった上にスキンケア+化粧品がひとところにまとまって嬉しい。
新しい服と入れ替えで処分する服らは適当な大きさにして雑巾にすることにした。トイレやら窓のサッシやらをきれいにしてから捨てる。捨てる服もこの1年以上しっかり着倒した。夫に指摘された通り襟がよれていて、少しみっともない。1,000円でここまで着たんだから未練はない。
服の処分は服屋のリサイクルボックスも考えたけど、それまで服を保存しておくこと、そのためにわざわざ出かけないといけないことがめんどうだったので雑巾にする道を取った。ハサミを入れてしまえば後戻りもできないし。掃除ブームも来ているからちょうどよかった。
 
■断捨離を始めた者が一様に言うとおり「ものを増やしたくない」という思いがかなり強まっている。「ここまで減らしたのにまた増やすのがだるい」とも思う。
服の入れ替えに伴ってユニクロに行った。今までだったら試着したりしなかったりで買っていたが、今回はかなり試着した。最初にデザインを絞るためにデザイン違いで着てシルエットが好みかどうかと手持ちのどの服でも合わせられるか確認、デザインの目星がついたらサイズ違い、色違いで着た。2時間以上かけてTシャツを4枚買った。そのうちの3枚は同じデザインの色違い。
たかが上下+羽織しかパーツがないのに悩むのが嫌だからシャツもズボンもすべて色違いで揃えたい。シャツはできたのであとはズボン類。時間をかけて入れ替えていく。
 
■使わないから捨てたいけどまだ踏ん切りがつかないものがあるときは、そのものを机の上など目につく場所に置くようにしている。そうすると目につくたび「かわいいけどもう使わないんだよなあ」「もらいものだから忍びないけどもう使わないんだよなあ」などとデメリットがまめによぎるようになる。捨てたくないならこのときに使い道を考えればいい。
1日に何度もデメリットを思い出せばだんだんと踏ん切りがつくようになる。「最後にこんなに見たし、それでも使い道も思いつかなかったし、もう大丈夫」という気持ちになれる。
今もこのやり方でプラスチックカップを処分しようとしている。朝これにコーヒーを入れて近所の公園を散歩したい、そういう優雅さを暮らしに取り入れたくて持っていた。でも引っ越して3年近く経っても一度もやっていない。そしてもし朝から公園に行くならコーヒーは道中で買うだろうから理想の暮らしが実現されたとて使わないのは目に見えている。電子レンジ非対応だし。
でもなんとなく踏ん切りがつかないので台所に置いて眺めている。だんだんと「まあいいか」に傾きつつある。
 
■断捨離成功事例を見ていると「理想の自分になりたくて買ったものを捨てていくことで理想の自分に近づく」みたいなことがよく起きていて、おもしろいなと思う。
 
■「癒える」とか「許す」とかもこういうプロセスを踏んでいくのかな。しっかり向き合ってから納得する、みたいな。
 
■ネイルをしてくれた人がスピ好きで、私と夫の数秘を見てくれた。夫は「わかってあげられなくてごめんね」って言われたい人と書いてあった。本人も「これすごくそう。こう言ってもらえると許そうって気持ちになる」と言っていた。
その後夫と価値観の食い違いがあっていろいろ話し合った(険悪ではない、かなり建設的でいい話し合いだった)。そのときは夫の価値観を全然理解できなくて「意味わかんね~~~謎の価値観に巻き込まないでくれ~~~」と悪く思っていたんだけど、ふと「”わかってあげられなくてごめんね”ってこういうときのこと?」と気づいた。
夫に言ってみたら「あ、そうかも。なんかいますごい沁みた。しっくりきた」と驚いていた。
そぐわない価値観を心から理解して共感することは私にはきっとできない。私の心や価値観の可動範囲はまだ狭い。それならそれで「うまくわかれなくてごめんね」と言うことも、夫にとっては受容の一種なんだなと体感した。
 
■私はあらゆる価値観で硬直マインドセットの持ち主である。なのでつい自分の正しさや私個人が持ち合わせる正義で他人を説き伏せようとしたり、ファイトポーズを取ってしまう。相手の論に納得してしまうと自分が下になるような感覚が生まれる。とにかく自分を等身大以上に大きく、よく見せたい。虚栄心が求愛行動でもしてんのかよ。
自分の悪いところだとは前から思っていた。この態度は人としてかなり愚かしいし健全でもない。なんとかしたい。
それがマインドセットの本だったりこの日記に書いたような気づきで少しましになりそうな気がしている。
 
■人の気持ちを理解することは勝ち負けではない。相手の価値観を受け入れることも上下を決めることにつながるではない。そもそも対人において勝ち負けも上下もない。ただ人数分の人がいて、ひとりひとりが己の価値観を持っていて、それを受け入れてほしいと思っているだけ。
 
■これから先も新しいことが始まったりライフステージが変わるたびにそぐわない価値観が出てくるだろう。そのとき私がするのは己の虚栄を守るために拳を握ることではなくて、相手と握手することなんだろうな。
 
■3月の目標にドリルを1ページやるというのがあったのでした。始めるとやっぱりおもしろい。街中の消火栓と消火器の設置場所の違い、消防団員の職業などを知る。
火事が起きた建物内から逃げるための救助袋の紹介もあった。「あ、これ『悪の教典』でやったところだ!」となった。蓮実聖司のいんけんゼミ。
 
■株を始めて2度目の3月31日。保有銘柄もだいぶ増えて、4月1日になったらだいぶ下がるだろうなと予想していたら1銘柄を除いてすべて含み損になった。いや、いいんだけどさ。いいんだけどね、なんかこう気持ちがさ。いやいいのよ、いいんだよ。好きにやってもらって。
↑このように書いているけど実際は何のダメージでもない。すぐに必要なお金じゃないし。
 
■またダニが出てきている。すでにだいぶ刺された。夫が大家さんに電話したところ「隣の部屋でもで出ている」という情報を得た。うちだけじゃないことにまず安心。どうやらうちと隣と行き来しているらしい、業者しっかりせえよ。
 
■壁面収納について思案中。これがいいんじゃないかと100円ショップで買ったものより夫のアイデアの方がよかったので取り入れようとしている。うまくできるかまだわからないけど、思った通りになれば都合700円くらいで壁面収納を手に入れることができる。楽しみ。
 
おわり
 
↓よければクリックお願いします!

ブログランキング・にほんブログ村へにほんブログ村