日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

4月14日~20日■もっと生ぬるく気味悪い気候であってくれよ

■友人に薦めてもらった鳴ル銅鑼というバンドをよく聴いている。youtube山口百恵さんのプレイバックpart2のカバーがあってそれがすごくいい。
三輪さんの声がこういった昭和歌謡によく似合っている。もっと聴きたい。ちあきなおみ喝采どうですか。

昭和歌謡は積極的に聴くわけではないのだけど、ちあきなおみ喝采は好きでよく思い出す。そのたびよくこの歌詞で「喝采」というタイトルにしたなーと驚く。
と同時に私には絶対につけられないタイトルだと打ちひしがれる。圧倒的な才能を眼前にして打ちひしがれる余裕があるなんて元気ですねとも思う。何を見ても筆は折らない、これ私の長所です。

■かといってまめに筆が動くいているわけでもないが。わはは。

藤本タツキの「ルックバック」の感想で「あまりにもすごすぎる作品が生まれると筆を折る人が増えるのでマイナス要素が大きい(曖昧意訳)」というものがあった。
それに対して「他人の筋肉がいくら素晴らしくてもそれは自分の筋肉ではない。他人の筋肉を見て自分の筋肉をあきらめるならその人は筋肉が好きなのではない(曖昧意訳2)」のようなことを言っている人もいた。
どちらもそうだよなーと思う。

■私の意見は「だけど胸を打たれる素晴らしい作品がなければ自分もこんなに素晴らしいものをつくりたい! と血が沸騰するままに手を動かす人も生まれず、伴ってこれからの世に生まれる素晴らしい作品の総量が減る」です。
この世の中は現実も創作も素晴らしいよ。

■1日窓を開けていてもいい気候になった。洗濯物もよく乾くので嬉しい。まあ昼が暑すぎるし夜は涼しすぎる嫌いはあるが。夜はもっと生ぬるく気味悪い気候であってくれよ、春だろ。

■夜出歩いた帰りに公園に入った。広場の中央に大きな桜が咲いていたので花見をしに行った。犬の散歩に来たらしい人が先客だった。
緊張感を保つために犬と対角線を張りつつ中央の桜をぼーっと見ていたら奥に桜並木があった。向こうに続く道らしい。せっかくなのでそちらも歩いた。
家から出ることが減った今、桜並木を真下から見上げて歩くことはそうそうない。私自身には卒業も入学もないのである。桜もハナミズキも藤もいつの間にか咲き、散っている。
これから何度桜を見るだろう。
そういえばそういうツイートを見かけた、寿命的にマックス80回程度しか桜を見られないのだから1回1回しっかり見ろ、みたいな内容だった。
確かに来年死ぬかもわからんしと長めに桜を見た。
昼に桜の花を見ると「言うほどピンクじゃないよな、めっちゃ白い」と思うが、夜は不思議と「薄桃色だ」とはっきり認識できる。室内と屋外で色が変わる宝石のようだ、アレキサンドライトだっけ。
夜、頭上高く薄桃色の花を大量にこさえている樹にやはりめでたさは感じない。色的に花が薄ぼんやり発光しているように見てるのが対人用の誘蛾灯だとさえ思う。
カラスヤサトシの「いんへるの」の何話だったか忘れたけど「こんな日なら暖簾でもくぐるみたいにあの世へ行ってもいい気がする」と描いてあった。桜が満開の夜だった。
その日は絶対に暖かくじんわりとした湿度があっただろうなと思う。毛先が動くくらいの風も吹いていただろうな。作中だともっと祭めいためでたい日だったけど。

■やったりやらなかったりだけど日々見かけた「いい」と思った文章をメモしておくとこういうときに引用できて嬉しい。イメージと記憶の固着。

■それにしても「暖簾でもくぐるみたいにあの世へ行ってもいい」ってすごい文章だよな。桜が満開の春のぬるい夜以外にふさわしい季節も時間もない。どうやったら思いつくんだろうな、こんなの。すごすぎる。

■今週は土曜のうちに思い出せたのでたくさん書けたな、満足感がある。今週はここまで、また来週。

おわり

 

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