日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

部屋のリソースは心のリソース

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こんなに物を持っていなくていいな、と気づいた。少しずつ処分している。
物が多い家で育った。家自体がそれなりの広さで、部屋数も多かった。
どの部屋も足の踏み場はほとんどなく、カーペットの代わりに新聞やちらしが敷かれていた。親が本好きなこともあってとにかく紙が多かった。
 
結婚して引っ越しをした。
昔着ていた服を持ち込んだ。家電屋の大きい紙袋ふたつ分くらい。もう着ないから売ろうと思った。
初夏に引っ越したから、夏服をメインに持って行った。夏服は薄くて軽いから送料がそんないかからないと思った。新しい家は床もまだ広いから、服を広げて撮影するのが楽そうだった。
 
最初の1ヶ月は家具家電をそろえたり、他人と一緒に暮らすリズムを整えるのであわただしく終わった。
次の1ヶ月は暑く、汗をかきながら家のことをしていたらいつのまにか終わっていた。
次の1ヶ月は猛暑だった。ぐったりしている日も多かった。売りたい服を少しずつ洗濯していった。1枚1枚広げてはなつかしい気持ちになった。もう着ない服たち。
次の1ヶ月はとくに何もしなかった。食費節約のために毎日買い物に行っていたのを週1回に減らした。もう夏が終わる。秋冬服はまだ実家にあった。
そこから半年間。押し入れの上の段、右奥の隅に、家電屋の大きい袋に入ったままの服たちはあった。常に意識はしていた。ほどなくして春が来てしまう。夏に洗われた服たちは押し入れの中で新しいしわを刻んでいる。
 
引っ越して9ヶ月が経った。年度が変わるころ、フリマサイトに登録して化粧品をぽつぽつ出品した。これも売ろうと思って実家から持ち込んでいたものだった。服をまた洗ったりハンガーにかけて写真を撮ったりするのがめんどうで、とりあえず化粧品から始めた。
ばら売りだと送料がかかるので5~8点くらいまとめて出した。初めのうちは利益もほしかったのでばら売りは断っていた。1個600円程度で売って、そこから送料と販売手数料で200円も持っていかれてしまうのはもったいない。
廃版品も多く持っていたからそういうものは少し高く売れるのでは、と期待もしていた。廃版品はとくにばら売りを希望する人が多く、できればまとめて買ってほしい、と伝えていた。
 
ある日、「どうせ捨ててしまうものを買ってくれると言っているのに、どうして断るんだろう?」と思った。そのまま捨ててしまえば利益は0円どころか、元値から考えればマイナスになる。それなら400円でも手元に残るだけいいじゃないか。持っていたところで自分が使うわけじゃないんだし。マイナスは積極的に補填していく方がいい。
そこから化粧品はばら売りもするようになった。まとめて出品し、依頼があったものだけ個別で出品する。すべてばら売りで出品するよりも手間が少なくて済むから楽だった。
 
化粧品たちは2ヶ月に1、2こくらいのペースで売れていった。ささやかな金額ではあるが、必要としてくれる人の手に渡るのが嬉しかった。自分では使ってあげられないから。
服たちのことはずっと覚えていた。やらなくては、と思いつつしっかり押し入れの肥やしになっていた。1年近くも日の当たらない場所でじっとしている服たち。もうどんな服を持ってきたか覚えてもいない。
 
引っ越して2度目の秋。売るつもりだった服をすべて捨てた。
もう着ない服を誰かにあげるわけでもなく、押し入れに置いてくことにじりじりしていた。
「やらなきゃ」と思い続けることも、「やらなきゃ」の先に待ち構える「洗濯、撮影、出品、売れるまでまたしまっておく、売れたら発送」の手間を繰り返す想像をして、結局先延ばしにすることも嫌になった。
服を捨てればその跡地にアクセサリーパーツを置いておけるし、アクセサリーパーツが移動してくれれば跡地にそこらに散らばっていたノートや本をまとめて置ける。ノートや本がまとまれば床面積が増えて部屋が広く見えるし、掃除もしやすくなる。
なにより「やらなきゃ」の焦りがなくなる。自分で課した義務から解放されるのだ。
 
「やらなきゃ」と思いながらもできないことはたいていやりたいことではない。だからいつまでもできないし、でも「やると決めたから」と心は常に少し焦っている。本当はやらなくてもいいことなのに。自分で自分に重荷を課しているだけなのに。
「やらなきゃ」が「やりたいこと」ならば放っておいても着手するし、「本当にやらないといけないこと」ならばさっさとやった方がいい(光熱費や年金、税金の払い込みとか)。「本当はやらなくてもいいこと」ならばやらない方向に舵を切ってしまう方が、いっそ心が楽だ。
人はやりたいことをするのに理由なんかつけない。ああだこうだと理由をつけて逃げるのは結局やりたくないからなのだ。
1年以上かけてそのことに気がついて、売ろうと思っていた服を捨てた。
ついでに着るつもりで洋服だんすに入れていた服もいくらか捨てた。引っ越してから着ていなかったから。これらも売るつもりで何枚か写真を撮ったけど、フリマサイトには出さなかった。写真は白飛びしてたし、出品するのがめんどうだったし、捨てると決めたものを売れるまで保管しておく意味がわからなかった。洋服だんすは重たく、開け閉めに力がいる。いつも服が少しだけ飛び出しているから手で押さえながら閉めていた。楽に、身軽になりたかった。
服を捨て、押し入れに他のものを入れ、床がきれいになって、洋服だんすも軽くなった。
ただ捨てただけだからお金にはなっていないけど別にいい。目的は金銭を得ることではなくて心を楽にすることだった。
 
家にはたくさんのものがある。
大河さんが仕事でもらってきた美容液やクリーム。独身時代に使っていた高いシャンプーの付属サンプル。ホテルのアメニティのシャンプーやクレンジング。母からもらった皿。しばらく使い道が思いつかなそうなアクセサリーパーツ。全然減ってないネイルポリッシュ。引っ越してから一度も使ってないかばん。もう使わない化粧品。死んだ祖父の家からもらってきた洗剤や柔軟剤。いただきものの入浴剤やタオル。ふたが壊れたけど思い出の香水のボトル。使いかけのハンドクリーム。
ものがあったって使わなくちゃ意味がない。使わないなら早めに捨てるか売るかする方がいい。
部屋のリソースは心のリソースでもあるのだから。
 
今はなるべく捨てないブームが来ているので少しずつ使っている。美容液もクレンジングも、買ったものじゃないと思うと遠慮なく使えていい。
せっかくもらったものを大事に取っておくのは素敵な心かもしれないけど、使わずにだめにしてしまうのはいいことではない。もらったものこそ早く使ってよさを感じていきたい。
ミニマリストになりたいわけではない。ただ部屋をきれいにして、過ごしやすくしていきたい。
 
おしまい