日曜日の朝

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みかんの食べ比べと漫画『ふるさと』の覚えているシーン

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みかんにはまって食べ比べをしている。
今のところ「日の丸みかん千両」という品種がぶっちぎりでおいしい。
甘く、房の皮が薄く、超高級みかんジュースがぎりぎり固形を保っているようなみかんだ。他に2種類食べているがもうこのみかん以外食べられないかもしれない、本当に。
「皮が剥きづらく毎回どこかの房の皮が破れる」というデメリットを補ってなお余りあるおいしさ。ものすごくやわらかいのでみかん然としたみかんを食べたい人には物足りないかもしれない。そんな人には「味丸みかん」をおすすめする。やや落ち着いた甘みで房の皮の存在感もあるので食べ応えがある。日の丸みかん千両と同じ糖度というのはちょっと嘘ではないかと思っている。
最初に買った日の丸みかん千両は獲れ始めなのか小ぶりで、翌週買ったのは平均的なサイズになっていた。後者はまだ食べられていないが味に違いがないことを願う。
 
……せっかくなので大きい日の丸みかん千両を食べた。小さい方が段違いに甘くておいしかったな。みかんの甘さは大きさに比例するかもしれない、という仮説。
 
みかんといえば、思い出すのは漫画『ふるさと』である。
 
舞台は秋田県
主人公・太平くんのお母さんが長らく病床に臥していて、家族みんなでお見舞いに行く回がある。
お父さんとお母さんは1話の時点で離婚しており、太平くんと妹のみずなちゃんはもう何年もお母さんに会えていなかった。
年端も行かない子どもたちの「お母さんに会いたい」という願いが叶う感動の回だ。
 
確かお母さんは医者にはかかっていなかった。病院のベッドではなく自宅の布団に横たわっていたはずだ。
だからお見舞いついでに太平くんたちが医者を連れて行き、その場で診察してもらっていた。
念願の再会に喜ぶ子どもたちに反して、医者はお母さんを一目見るなり暗い表情になる。
 
「腹部の張りや黄疸から診てエキノコックス症だろう」
進行度合い的にもう助からないとも言っていた気がするし、回復して家族そろって秋田で遊ぶシーンがあった気もする。
 
まだ幼いみずなちゃんは「お母さんの手、みかんを食べたみたいに黄色いね」と手を握って嬉しそうにしていた。
同じ症状を見て病の進行度を診る医者と、無邪気にふれあいをするみずなちゃんの対比が心苦しかったのを覚えている。
みかんを日に4個ほど食べている今、黄色い指先を見て健康であることを切に思い知る。
ちなみにみかんを食べて手が黄色くなるのは、みかんに含まれるカロテンが汗とともに排出されるかららしい。単純に汚れているわけではなかった。
あとカロテンってにんじん以外にも含まれるのね、という気づき。調べたらにんじん以外にもほうれん草やかぼちゃ、かんきつ類に多く含まれているんだとか。キャロットのもじりだとも聞いたことがある。どういう働きをするのかはまだ知らない。抗酸化作用あたりか?
 
エキノコックスは北海道を中心に生息してる寄生虫である。主にキタキツネとネズミを宿主にしており、キタキツネとネズミの捕食する・されるの関係で感染サイクルが回っている。本来であれば人間には寄生しない。
が、人間が何らかの理由でエキノコックスの卵を体内に取り入れてしまうとエキノコックス症が発症するのだそうだ。
「何らかの理由」は例えば野生のキタキツネにさわることや、寄生虫の卵を含んだ糞で汚染された沢の水を飲んだり木の実を食べることが挙げられる。
お母さんがエキノコックス症にかかる回想でこちらをじっと見つめるキツネのコマがあった。
お父さんと北海道旅行に来ていたと思う。沢の水をおいしそうに飲んだあとだったか、ふと顔を上げるとキツネが遠くからこちらを見ていた。木々とともに陽に照らされて美しかった記憶がある。すぐ近くのコマには意識朦朧としながら浅い呼吸を繰り返す現在のお母さんもいた。
キツネと自然の美しさとお母さんの死相。それを見つめるお父さんの覚悟を決めたような目。一生忘れない回だ。
 
著者である矢口高雄先生の漫画は幼少期に何度も読んだ。『釣りキチ三平』なんか「三平くんはブルーマーリン編では三平ボーイと呼ばれてね……」「三平くんがめちゃめちゃ怒る回があってさ、山伏の親子と釣り勝負をするんだけどね、」などと夜な夜な夫に話している。おかげで夫は三平くんが900kgの超どでかいカジキを釣ったことを知っている。
親が買う漫画が『名探偵コナン』や『金田一少年の事件簿』、『ゴルゴ13』など人が死ぬ作品が多かったので矢口先生が描くのどかで平和な作品は癒しだった(こちらでも普通に人は死ぬが銃で撃たれたり密室だったりしない、悪意がない)。そのわりに自然の厳しさもがっつり描いておられて、先のエキノコックスの話は今も教訓として胸に置いてある。野良猫はがっちりさわってたけど。
 
駅がなく、最寄りのコンビニまで徒歩30分の町で育った。東京で暮らす今も最終的には地元のような自然のある地域で暮らすのもよいと思っている。そう思うのは矢口先生の影響が大きい。先生が描く葉の影、水の流れ、人のあたたかさや空気の美しさ。誇張ではなく何十時間も読んできた。
ただあそこまで過酷な自然に暮らすのは正直大変そうだなので、ある程度発達した田舎がよい。昔山梨の大月からもっと行ったところに遊びに行っていたがあれはもう、とんでもない。大変。電車は1時間に1本だし、バスは1日2本だし、夜の川を猪のような生き物が走ってたし。電車のない町でいいけど遭遇する野生動物はハクビシンくらいがいいな。
 
ささやかながら矢口先生のご冥福をお祈りします。
 
おしまい