日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

7月18日~24日 子どもだましのアイス

■7月18日日曜
創作をやる。夜通しでやって書き上げたので勢いでアップし、ブログも予約投稿をして寝た。読み返すだに今まで書いたことないタイプのものに仕上がっていて気恥ずかしさに襲われる。そういうものを書こうと示し合わせていたのだけど。こういうタイプも書こうとすれば書けるんだなあという発見になった。なんでもやってみる方がいい。
 
「今日37℃になるらしいよ」という夫の悲痛な検索結果を受けてエアコンを入れて寝た。夕方起きたらいけそうな気温だったので扇風機だけでしのぐことにした。夫は寝ている。
扇風機は1台しかない。寝室とリビングは反対に位置している。寝室に扇風機を向けると家で最も暑いリビングの地獄化が加速し、リビングに向ければ寝ている人間が知らずのうちに熱中症に片足を突っ込むことになる。扇風機があればしのげる、なければ厳しい。でも寝室とリビングに同時にひとりずつ人間がいて、外気温的にエアコンを入れるのは完全な敗北。かなり難易度の高い頭の体操。
結局基本は私が寝室にいて風を浴びることにした。リビングにいても何もしないから別にいいんだけど姿勢が難しい。ずっと寝転がってると飽きる。でも扇風機の台数を増やすほどでもないんだよなあ。
 
多湖輝先生の『頭の体操』は子どものころ毎日読んでた。狸寝入りの問題が好きだった。
「小学生の自分が狸寝入りしていると、たまに遊びに来る親戚が決まって「さては狸寝入りしているな?」と当ててくる。なぜか」というもの。答えは気が向いたら書きます。
 
起きてから創作の読み返しをし、誤字脱字があったので修正。読み返すたび虫のように湧いてくる、なんなんだよ。ついでにもう少し肉付けをする。
早速何件かリアクションがあって嬉しい。華々しい人たちがもらうリアクションに比べればささやかなものだけど、見てくれている人がいて、さらによいと感じてくれた人がいるのは素直に励みになる。1件のリアクションの前に何人もの人が読んでくれている。リアクション件数を人と比べても意味はない。自分がつくったものに対して時間を費やしてくれる人がいるのはすごくありがたいことだ(でもジャンルに新しい人が増えてそちらの方がリアクション数多かったら自分が筆を折るであろうことも知っている)。
あと昔違う場所にアップしていたときよりもリアクションがわかりやすい。プラットフォームの変化によるリアクションのしやすさってあるんだろうなあと肌で感じる。前はメールフォームしか置いてなかったからハードルの高さもいかばかりか。それでもリンクを貼ってくれたりメールで感想をくれたりと交流があった。メールのログとかどこに保存されてるんだろう。消えたレンタルサーバーにまとめてたんだっけ。なんとか復活してほしい。
そういえば以前占いで「あなたはいつか本を出すね、ちょっと変わった本」と言われたのだけど、このジャンルに関する本なのかと危惧している。もし本当に出せるなら、できれば自費ではなく出版社から出したいのですが……と思ってしまう。贅沢な悩み。
 
リアクションと言えば。少し違うけどこのブログのアクセスが月ごとに増えてきていて、ありがとうございます。四方山話しかないブログに来てくれる人がいるのも同じく励みになります。引き続き個人的な四方山話しか書かない予定ですがたまに読んでもらえると嬉しいです。
気が向いたら記事の上部にあるランキングバナーをクリックしてもらえるとまた新しい嬉しさを感じることができます。私が。よしなに。
 
■7月19日月曜
よく昼寝をした日。言い換えれば活力のない日でもある。
500年ぶりくらいに自分でHTMLをさわる。昔いろいろやっていたページを更新した。見ている人はもういないだろうけど、もし万が一いるなら最近の活動場所をお知らせできればと思ってやった。
ついでに当時ある程度連絡を取り合っていた人たちのブログなどを探す。よくこんないろんな名前を覚えてるよなあ。
 
藤本タツキ先生の読み切り『ルックバック』を読む。『チェンソーマン』も『ファイアパンチ』も途中までしか読んでなくて話の大筋は知っているというだけなのだけど、いろんな人が「藤本タツキ作品は映画」と評する理由がなんとなくわかった。あっけにとられてしまった。
藤野が京本に「サインください!」と言われてサインしたあとの雨のシーンがすごく好きだ。自分もこういう顔をしたことがあったと思い出させてくれる。今もあるけど。
 
人が創作に手と出すきっかけは自分とごく身近な誰か(多くはもっとも親しい友人)に求められ、喜んでもらいたいからであろう。身近な人が自分の作品を見てくれて、喜んだり笑ったり泣いたりしてくれて、あまつさえ「もっと見たい」と言ってくれること以上の原動力はない(これ本当なのでみなさま好きな作家には定期的に好きだと伝えてください)。しかもその身近な人が自分を大いなる挫折に追い込んだ爆裂才能の持ち主で、その人の圧倒的才能のせいで筆を折ると決めたときに「ずっとあなたのファンだった!」とあんな目で言われたら、そりゃああんな顔にもなる。踊らない人だっていない、みんな誇らしい気持ちで何日も踊り明かす。祭が始まる。筆を折るために続いた長い夜が終わって、またつくり始める。友情が終わらない限り続く祭。筆なんかそうそう折らなくなる。
その一連の気持ちをどうしてひとつのセリフもなく、あんなに雄弁に語れるのか。怖すぎる。どうして。
 
昔毎日のように創作で何か更新していた時代、私の文章を好きになってくれた人は何人かいた。本当にありがたく嬉しいこと。サイトのアクセス解析を見ていると見慣れないURLからリンクが来ていて、飛んでみると新しくできたサイトが片思いリンクとして貼ってくれたりしていた。中にはこのサイトはこういうところが好きだとひとつひとつに紹介文を書いている人もいた。世の中にはまめな人がいる。できたばかりのサイトだったりすると、自分の存在がその人に創作の道を示した可能性もあるんだなあ(もちろん他のサイトもきっかけだろう)と同士が増えるようで楽しかった。藤野も同じことを言われていた。
そういう好意の示され方はやっぱりどうしようもなく嬉しい。自分のことを好きだと言ってくれる人間が突然現れること、同じ創作の畑にいること、その人がつくったものを自分も見られること、それを見てまた自分もやっていこうと思えること。すごくしあわせな時間だった。『ルックバック』の雨のシーンは当時の自分の感情をまざまざと呼び起こす。創作をする人間なら一度は引き起こされる、「この人のためにつくっていこう」というあの感情を。
 
そうは言っても人は結局自分のためにしかつくれないのもまた事実だと思う。誰かに喜んでほしいと言っても、もう1歩踏み込めば「誰かが喜んでいるのを見て自分が満たされるため」にやっているだろうから。冷たい言い方に見えるけど、結局のところ自分の自尊心を満たすための手段としてたまたま創作を選んでいるだけだと思っている。すべてのことがそうだとして生きている、目的のために選んだ手段。とどのつまり人は自分のためにしか生きられないという価値観が根底にあるので。
だから藤野も最初のうちは、才能ある京本が自分にかしずいているのが嬉しくてやっていた部分もあったと思う。そのうちにライフワークになっていって、大人になって筆を折って、また書き始めるのはやっぱり自分の気持ちを鎮めるためなんじゃないか。京本が楽しみにしていた作品をこんなところで終わらせれるか、私は藤野様だぞと。
 
私は何かテキストにまつわるプロを目指しているわけではないのでとくに影響はないのだけど、もし自分が漫画家を目指す者だったら『ルックバック』を無心で読んで、読み終わったあとにげぼ吐いて大泣きしてたと思う。もう自分に表現できることなんて何一つないじゃん、無理だよって思ってたと思う。完全にモチベーションをぶっ壊されてた。
でもいくらモチベーションをたたき割られてもやる人間はやるんだよなあ。そういう人が彼女らのように大輪の花を咲かせるんだろうな。
 
びびってまだ1回しか読んでない上での感想でした。またあとで読も。
 
■7月20日火曜
ウエルシアの日。戦である。
朝から夫に来てもらい買い物をする。終わってから夫の用事で携帯キャリアショップに行ったり、お茶をして、私の用事で映画を見た。かなり久々に「デートしたなあ」という気持ちになった。
結婚してからというもの外出には必ず用事がつきまとうので(とくにコロナ禍で用のない外出を控えているから)、ふたりで遊ぶためだけの時間はほとんどない。家にいればお金を使わないし。月1くらいではこうやってちゃんとお金と時間を使わないといけないよな。まあ今回の映画は私の分は無料なんだけど。無料券が当たったので。久しぶりにこういう運の良さが出た。
 
映画は「青葉家のテーブル」を見た。
他に見る候補だったのが「ファーザー」「17歳の瞳に映る世界」で重めラインナップだったので、気軽にいい気分になれるそうという理由でこれにした。さっぱりしたものが見たかった。
思った通り適度にはらはらして、ちょうどよく笑って、「そうだよなあ、がんばれ若人よ」という気持ちで終わった。これこれ、この気持ちよ。
親が著名である点で私も優子ちゃんと遠くない状況なのだけど、親の名前の生息地と私の生息地がまったくかぶらないので影響がない。夫はその分野に詳しいので父の話を聞いたときにたいそう驚いてくれていた。家の中で父のすごさの質感がわかる人が少ないので父も嬉しかったことだろう。
兄が小説で市長賞をもらったとか有名な出版社のアンソロジーに参加したのは「わーっ!」となったけど、それもしかるべき才能を持ってしかるべき努力をした人間にのみ与えられる当然の権利ととらえているのでもうなんともなくなった。おもしろいから印税がっぽりもらっててくれ。と、今はこんな感じだけどもし父と私の生息地がかぶっていたり、私が文章にまつわるなんらかのプロを目指していたらさぞつらかったろう。
暮らし系SNSインフルエンサー&大人気実店舗を経営する有名人が親、という優子ちゃんの気持ちがわからないのは幸運なことであり、同時に物語に移入しきらない部分ではさみしいことでもある。
 
それはそれとして。優子ちゃんの「親がすごすぎて自分も何かにならなきゃって思っちゃう」のはとくに最近のデジタルネイティブ世代の悩みだろう。インターネットでは誰でも有名になれる可能性がある。ブログでも動画でも絵でも。身近で有名になった人がいたりしたらしっかり劣等感を刺激されるに違いない。
少し前に「ドラマを5秒スキップで見る人たち」に関する記事があった。夫から聞いただけで読んではないのだけど、「特定のジャンルに詳しくありたいがためにドラマの内容を把握しておきたいけど内容に興味はないから飛ばして見る」らしい。他にもいくつか理由はあったはずだがこの理由に大変納得したので忘れた。今はインターネットで何かに特化して有名になる人があまりにも多く、日常生活でもそうあろうとする流れが強いのだろう。何かに特化した何者かであらねばならない圧が。
奥田英朗の『イン・ザ・プール』」でも似た話があった。周りの人に好かれたいがためにバイト代を使って好きでもないミュージシャンのCDを買っていろんな人に貸す、そのおかげで彼らに好かれていると思っていたがクリスマスイベントに誰からも誘ってもらえなくて愕然とする話。
そんなに人から好かれていないといけないかねと思うけど、嫌われているよりは好かれていたいし、つまらなくて飽きられるよりは話題を提供できるように情報の仕入れを怠らないようにしたい。その気持ちはわかる。身銭を切ってまでする必要はないだろうけど、そうしないと他者に何かを提供できないと信じているのだろう。
他者に自らの存在の価値を捧げなくても、あなたがそのままでいることに価値を感じる人とだけ付き合いなさい。聖書にもそう書いてある。多分。
 
■7月21日水曜
この日は何してたんだ? 実時間でもう24日に突入した。書くのがだいぶ遅くなってしまい記憶がどんどんなくなる。
理想の唐揚げをつくろうと毎度試行錯誤しているが毎回味か衣の食感が違ってうまくいかない。なんでだろう。味が完璧な日は衣がほんにゃりしているし、衣がばりっとしている日は味が薄い。そういう風にしかつくれないものなんだろうか。世の理? 世知辛いな。
 
母から「数秘術の本買った」と連絡があり、私の生年月日の結果を教えてくれた。
「常識人の皮をかぶった子ども」「変わり者と言われやすくそれを自覚もしている、ゆえに自分は理解してもらえないけれど他者は理解し愛したいと思っている」「仕事は個人プレー向き、違う仕事を掛け持ちするとよし」「ママはなるほど! と思った」とのこと。
どう、と夫に聞いたら「紗季さんってどんな占いでも必ずそんなようこと言われてるよね」と。占いってどんな手法であっても見るのは結局生年月日だと思っているので、それを元にしていればだいたい同じ結果になるような気はする。
 
ところで数秘術と言えば貫井徳郎の『慟哭』ですね。何を言ってもネタバレになりそうなのでリンクだけ貼っておきます。
子どもがたくさんつらい目に遭うのでお子さんがいない方におすすめ。ミステリです。
 
 
■7月22日木曜
明日はなんとレッスンである。
起きたら1枠余っていた予約が埋まっているではないか、何事か。久しぶりの満席で嬉しい。他にも開催希望のメッセージが複数来ていた、なんならすべて明日希望のメッセージだった。驚く。何事か。お友だちだろうかと考えるも、それなら複数人から個別でメッセージを送らなくてもいい。不思議なことだ。なんにせよ嬉しいのでいそいそ返信。
明日の枠はもう増やせないしあまり人がいると見るのも大変なので別日を提案、全員その日程で承諾してくれたので同じ日に開催することになった。なんとまた満席である(本来の枠数分開催希望が来ていたので)、本当に急に何事か。ありがたいことだけど再現性があるのだろうか。ひとつひとつしっかりやっていかないと。使うパーツを見ていたら一番大事なものがなかったので、早めに出て買いに行かないと。
 
加えて明日はワクチン接種2回目である。
フルーツ味の箱アイスを買ったり、食材の数をいつもより減らして買ったり、副反応中の食事含む家事を夫に頼むなどする。洗濯は終わっているので食事とごみ捨てをお願いした。Twitterを見ていると副反応が大変だったという人が多く、かなりびびっている。39度の高熱が2日も3日も続くとか、固形物を食べられないとか。あんまりすごくないといいなあ。
 
■7月23日金曜
レッスンの前に足りないパーツがあったので買いに行く。炎天下を1時間ほど歩いた。日傘をさしていたからよかったものの、なかったら熱中症にでもなっていたかもしれない。そのくらいの天気。遮光率99.9%の日傘に興味がある。今使っているものより涼しいだろうか。
今日のレッスンもつつがなく終わった。人に恵まれてありがたいことこの上ない。不思議とオーダーも1点入り、やはりありがたい。箱持ってたっけな。
 
夫と待ち合わせて先に晩ごはんを食べる。ワクチン接種後に固形物が食べられなかったら嫌だし、副反応に対抗するには栄養も必要だろうし、でもからだがだるいなか食べるのも億劫だから。夫が気に入って最近行きたがっていたうどん屋へ久しぶりに行く。前に来たときはそこまでおいしいとは感じなかったが今回頼んだものはおいしかった。次はレギュラーメニュにトッピングしてみようかな。
大規模接種センターへの道すがら、パティスリーの焼き菓子を買う。ちょっといいクッキーにハマっているのだ。この店の焼き菓子は前に友人への贈り物に使ったのだけど自分では食べたことがなく、そういえばと思って試す。かなり味のよい店だったので満足した、かなり好みの味。きっとまた買うだろう。
 
大規模接種センターへいざ参らん。予約ちょうどに到着した。接種まで15分ほど、経過観察で15分ほどと相変わらずスピーディーだ。
以下副反応の経過メモ。
 
接種から3時間経過。
1回目接種のときのような筋肉痛めいた痛み。腕の可動域は広い。
母に接種終わった旨を連絡。「高齢者でもなく基礎疾患もなく職域でもなく、たまたま予約殺到し始める前日に接種券が来て予約が取れてもう接種が終わるのおもしろすぎ。何のフォース?」と言われる。ほんとにこの運のよさはなんなんだろうね。
接種券が混雑の前日に来たのはたまたまだけど、大規模接種センターのことは母から「翌日の予約が取れたって人もいたから見てみたら」と言ってもらってやっと存在を思い出した。見てみたら日付も時間も選べるほど余っていたのでさっさと予約を取ったという話。
ほんとうにまじでいろんな人に助けてもらっている。副反応が落ち着いたら神社にお礼にでも行こうかな。
 
10時間経過。
接種した側の腕や足に倦怠感。血行が最高に悪いときのぴりぴり感がある。メディキュットを履きたいが履いていいのかわからないのでそのままパソコンに向かう。
何かご飯を食べた気がする。アイスかな。
 
12時間経過。
少し寝た。暑くて起きたのかだるくてまとめて眠れないのか判断つかない。こまぎれ。
引き続き悪寒のような皮膚のぴりつき。血管の内側に鳥肌が立つような感覚。苦手な肌触り。
倦怠感が強まっていて左腕はモンハンができなそうなほどだるい、逆転裁判が限界。
夫が「おでこ熱くない? 熱測りな」と体温計をくれたので「全然熱くないよ、6度3分だって」と言って測る。38度2分の熱があって笑った、記念写真も撮った。熱に伴う頭痛などはなくてただからだが熱いだけ。ワクチンの成分たちが私のからだの細胞たちとあいさつ合戦をしているに違いない。しっかいあいさつして仲良くなりな。
立ち眩みがかなりきつく起こる。寝の姿勢からいきなり立つから必然だとして、そうそう経験しない強さで発生する。一応前日に鉄分のサプリは取っていたけどそういう問題でもなさそう。
 
20時間経過。
平熱に下がる。はっきりとおなかがすいた感覚はまだないが、食べておく方がいい気がしたので晩の残りのカレーを食べる。固形を食べることはできる、嬉しい。
アイスも手軽に食べられるので買っておいてよかった。Doleの16本入ってる小さいアイスバー。小ぶりなのでおなかがすいてなくてもぱっと食べられるし、いろんな味があっておいしいし、冷たいのでよい。スーパーで前を通るたび「子どもだましのアイス」と言っててごめん。
引き続き悪寒のような手足の痺れはあるが範囲が狭まっているし弱まっている。ピークのときは両腕、両脚、腰、尻、肋骨とだいぶ広範囲だった。今は左腕と左足、腰、肋骨程度。とはいえ布団との接地部分がずっとぞわぞわ、ぴりぴりしている。このぴりぴり感をもって「5Gが通っている」と思い込んでしまうなら仕方ないかも、電流に似ている。5Gにおびえる人たちは3Gや4Gのときも同じようにおびえていたのかな。
体力値がかなり下がっており、歯みがきなどで立っているのがだいぶつらい。コロナにかかったら体力が落ちてなかなか戻らないと聞くので危機感が募る。きっとこの体力低下よりひどいのだろう。歯みがきでさえしんどいなら毎週の食品の買い出しなんか途中で1回座らないとやってられなそうだ。
立ち眩みもまだ起きる。細かい昼寝をたくさんする。
 
24時間経過。
左手や足の痺れはなくなって軽い悪寒だけ残っている。 
熱は6度8分から7度2分にかけてをうろうろしている。立っているのは相変わらずつらく、立ち眩みもあるが異変はかなり減っている。腕の可動域はだいぶ狭まっている。
熱に伴う頭痛や吐き気はないけど、血圧的な影響なのか立った状態で腰を曲げると嫌な頭痛が起きる。じっと座っている分には影響はない。
夫に「元気か元気じゃないかで言うと?」と聞かれ「脳はクリアだけどからだが全然追いつかなくて結果として元気ない。脳はめちゃ元気」と回答。なにせ帰宅から摂取12時間経つまで夜通し創作やってました、ピース。おかげでだいたい書き上がった。
家の中をうろつくコバエを2匹ほど素手で捕まえる。ここ何日か毎日1匹は素手で捕まえていたので「それいつもまじでやってんの? 武士の娘じゃん」と言われる。
夫はコップに入ってきたところをティッシュでふたをして台所に持って行き、ティッシュをかぶせたまま水を満杯まで入れて溺死させる手法を取っている。コバエだっていっそ一思いにやってくれと思ってるよ。
ドラマメンタリストを最後まで見終わった。シーズン6のレッド・ジョン編がいまいちだったのでシーズン7は蛇足かとあまり期待していなかったけどどうしてなかなかおもしろかった。麻薬組織とか人身売買組織とか事件がどれも大きかったけどそこはFBIだから仕方ないんだろうな。次に何を見るかはまだ決まっていない。
 
29時間経過。
基本同じ姿勢で寝ているのでからだが凝り固まっている。首と腰がばきばき。接種した腕を下にして寝ようとすると痛いので反対の腕を下にするか、仰向けしかできない。やれる範囲で軽く柔軟でもしようかな。からだが固いと副反応が大きいという意見をTwitterで見た。ほんまかいな。まあからだが固くていいことなんて思いつかないから結果としてからだが柔らかい方がいいんだろうけど。結果としてね。
おなかがすいたので夫にご飯をつくってもらう。食欲がしっかりあってよい。チキンステーキとお味噌汁。ステーキは夫が好きなコウケンテツ先生のレシピで、おいしかった。「ステーキ大臣ですか?」と聞いたら首を横に振っていた。
アニメ僕のヒーローアカデミアを見る。爆豪勝己がいい子でが好きなのですが、名前が己に勝つと書いて「勝己」なのがとくにいい。彼は何度も挫折して何度も立ち上がり、目の前の壁を打ち砕いていく。いろんな人に対抗心を燃やしているけど「俺ならもっとできる」という自信があるからこそ燃えており、それすなわち自分のことを絶対に信頼している何よりの証拠なんですよね。だからすぐに「おめえにできて俺にできねえはずねえだろ」と言う。自分ならできると信じているから、自分ならできるまであきらめないと知っているから。
勝己という名前はそういった性格を含む誇り高いもの。まっすぐで好感が持てる。いい子だ。みんなから「爆豪って口は悪いけどいいやつだよね」と思われていそうなのもいい。実力もあるし。
今時点でのhuluの最新話(地獄の轟君ちみたいなタイトル)で「”センシティブな話するなら飯に呼ぶな”って言えるのは爆豪のいいところだよね」と夫が言っており、確かになあ。首突っ込んでいいものではないし、外野が聞いていいものでもないし、ちゃんと解決しろと言っているようにも聞こえる。かっちゃんまじでいいやつだな。中学生当時なら轟くんを好きになっていただろう。大人になるにつれ地の人柄がいい人を好きになりがち。
 
33時間経過。
だるさがほとんどなくなってきた。悪寒による皮膚のぴりぴり感もない。もういいかしらと思ってメディキュットを履いた。久々の着圧はいい。メディキュットは年単位で使っていてだいぶぼろぼろなので新しいのを買わないといけないんだけど、まだ履けば気持ちいいので酷使してしまっている。死んだらそういう地獄に落ちそうだ。
熱も完全に平熱をキープしている。腕の痛く可動域はまだ狭いけど、あと1回寝て起きたら副反応はほぼ終わりかもしれない。
以上、ワクチン接種2回目のメモでした。最後の方オタクの話だったな。
 
薄々、副反応がかなり軽い方なんだろうと気づき始める。夫はインフルエンザのワクチンで腕がぱんぱんに腫れるのでこちらの副反応も重そう。インフルエンザのワクチンであんな副反応が出るのを見たことがなかったから、初めて見たときは本当に大丈夫かかなり心配したものである。
副反応の心配をする前に予約の心配なのだけど。まあ多分そろそろ取れるでしょう。なんとなく。
 
おわり
 
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