日曜日の朝

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8月8日~14日 人間最推しの地球箱推しみたいな感じ

■8月8日日曜
気温はほどよいが湿度が300%くらいあって嫌すぎる。今日はエアコンを入れなくてもいけそうだとにこにこしていたら湿度パンチと低気圧頭痛キックがきて駄目だった、エアコンを入れた。夏は本当にしょうがない。夏にけちると寿命が縮む。やる方なし。
 
何度か読みかけの本を読もうとする。糸を出す虫の本。先月まではちまちま読んでいたが気乗りしなくなってきた。できればこっちを読んでから他に行きたかったけど、「これをやってからじゃないとあれはできないと、みんな思い込んでいるだけ。楽しい方からやっていい」というスピの思想を思い出してこの本は一旦置いておくことにした。
置いておいたところで新しくは何も読んでいないのであるが。そういう決断をしたことが大きな前進。考えが変わらないと行動は変わらないのだ。
 
前回の日記を書いており、他に何か特別なことをした記憶がない。雑なご飯を食べ、ゲームをし、『ゴールデンカムイ』を読んでいた。最新話まで行ったあとにまた1から読むと、これってこういう意味だったのか~があって嬉しい。何度も読み返して発見がある作品に出会えるのは至上の喜びである。
 
「『ジョジョの奇妙な冒険』で学ぶ家計の整え方」、を夫とやる。
「貴様は今月支払ったカードの金額を覚えているのか?」
「おいジジイ、1本250円の醤油が2本で480円だぜ、どっち買うんだ?」
「俺バカだけどよお、兄貴にリボ払いと連帯保証人だけはなるなって言われたんだ」
などやっていた。
 
■8月9日月曜
今日も祝日らしい。本当に?
アンケートもないし、株の市場も動いてないから本当っぽい。そうなんだあ、複雑なカレンダーだ。
 
母と祖父の家の片付けに行く。直前まで悩んでいたが向こうで誰に会うでもないし、家から出ず片付けをしてごみ捨てをして人気のない墓を掃除して帰るだけなので、慎重に行きましょうということで合意した。
祝日なせいか電車は今までにない混み具合を見せる。駅弁をつつきながら実家の猫が認知症のようなものが始まっていて、何かにびびりながらか興奮しながらか尿を撒き散らす話を聞く。
「ペット用のおむつは尻尾を出す穴があるんだよ」と言われて田口ランディを思い出す。『コンセント』か何かで主人公の母親が性交渉をしやすいように穴を開けた下着をつけていた。父親にハサミで開けられたんだっけ、詳しくは覚えていないけど、貸した友人がその話をしていて「へーそんなシーンあったっけ」と記憶に定着してしまった。
私は最後の方に出てくる左右の手が同じくらいに動く、両利きのスピリチュアルな男のことを覚えている。主人公はその人からのスピリチュアルな影響を受けて、弟子のようなものになり、世の中をよくするために女性の肉体を用いて活動していく。で冒頭のタクシー運転手とまぐわってしまったことにも少しつながる、みたいなオチだった気がする。
親の勧めで高校生あたりで読んだが、今の方がもう少しおもしろく読めそう。あれって何の話だったんだろうか、三部作の1作目で一応全部読んだけど他2作をなんにも覚えていない。タイトルもなんだっけな。
 
祖父の家に着く。窓をすべて開けて換気がてら休憩。電車に座ってるだけと言っても時間が長いので結構大変。
休憩しながらテレビを見ながら舞城王太郎の『私はあなたの瞳の林檎』を読む。買ってから妙に読みたかった本、でも舞城は読み始めたら一気に行きたいからタイミングを図っていた。表題を30ページ読むかどうかくらいでもうすごく好みで、どうしようもなく、気を落ち着かせるために一旦閉じた。そういう性質がある。自分のキャパシティを知っている。
表題みたいなふたりがすったもんだして最終的に結ばれる話は好きなのだけど、そのすったもんだの中身はふたり、あるいは特に相手に強く好意を寄せている側が心中で悶々としているシチュエーションがよくて、その意味でこれはかなり理想の話だった。
戸ヶ崎くんの真面目が行きすぎて端から見るとおかしくなっちゃってるのも人物像として好もしい。林檎さんの、そうは言っても戸ヶ崎くんを拠り所にしていて、でも最後にはどうせいなくなるはずだと思い込むことでバリケードを張る脆さも理解できる。でも本当に戸ヶ崎くんがいなくなってしまったり他の女性を見るようになったら彼女の心は赤子の手を捻るより簡単に機能しなくなるんだろうな。その不安定さも含めてすごく好みのシチュエーションだった。きっと林檎さんのまわりには冗談で「林檎がいいなら戸ヶ崎くんに告白しようかな」と言う女の子がいて、余裕ぶってたんだろうな。
ちょうど昨日近い雰囲気(?)の漫画を読んでいて、二重にグッと来た。
 
でもあらためて読むと不穏な結び方でもあって、林檎さんは果たして戸ヶ崎くんのことを「好きだ」という心で好きになれるんだろうか。そして戸ヶ崎くんは林檎さんの心の動きのめんどうくささを理解して手玉に取り続けることができるだろうか。林檎さんが持つ「自分を特別視してくれる人(特に異性)を、自分の精神安定ために手放したくない」気持ちはわかるのだけど、ゆくゆくは精神安定剤を戸ヶ崎くん以外にも分散させないときつくなる。林檎さんの不安定さは自分を見ているようで虫のような声を何度か出した。
戸ヶ崎くんと林檎さんがつまずきながらも長く続いていくことを願う。
 
「ほにゃららサラダ」は松原さんの逃げの姿勢に近いものを私も持っていて眩しく見えた。錆びた門のような声を出しながら読んだ。ぎぃ……いぃ……。才能がある人は羨ましいし遠い、自分と全然違う世界の人だからと諦めることで余計なもがきやもがいた結果受けるダメージから逃げようとしている。ぎいぎい……。でもその痛みや恥ずかしさを享受できる者のみが味わえる感覚や景色があるはずで、本当は私もそれが見たい。わかりたい。努力を努力と思わずおもしろさだけで走れる生き物でいたい。
 
祖父の家で1ヶ月分のテレビを見る。オリンピックにまつわるニュースで柔道選手が耳たぶに大粒の汗の雫をつけついたのを見た。人ってそんなところにも汗かくんだ。耳たぶなんか肉体の冷たい部位代表みたいな顔してるけどそこが汗かくってことは全身真昼のアスファルトくらい熱いのかな。オリンピックでメダルを取るような人たちってやっぱすごいんだな、代謝とか運動量とか。
 
■8月10日火曜
片付け。先月やった洋服が山盛りになっている部屋をやる。窓のない部屋だと思っていたらあった、換気ができて嬉しい。昔この窓から空き巣が入ったらしいのではたして開けてよかったのかは不明。
 
棚の上から天井に届かんばかりに積み上げられた箱を潰していたらその箱で圧死したであろうあの黒い虫が壁にくっついていた。哀れシールになっている。表面にうっすら油が残っているようで乾燥しきっていない。他の虫もたかっていなくてからだはきれいに残っている、死んでから時間経ってないってこともないはずなんだけど。本当ならここから食物連鎖が始まるだろうに何も起きなくて少ししんみりする。
食物連鎖から転じて臓器提供を長らくうっすら考えている。漠然としたわからなさやとりのめのなさがあって踏ん切れない。せっかく健康な肉体と臓器があるから自分の肉体が終わるときにうまいこと役立ててもらえればいいのだけど、人はいつ死ぬかわからないのだから早めに判断する方がよくて、でも漠然としたいろんな気持ちが決断させない。保険証の裏にはまだ何も書かれていない、そのために結果として「臓器提供をしない」という意志がやんわり表明されている。
以前夫に話したら「希望としてはしないでほしいけど、でも紗季さんのからだだから」と言われていた。もしも自分が事故に遭い誰かの臓器のおかげで助かるとして、そうなったらいただいた臓器にものすごく感謝するだろうし、その際感謝するのなら自分の臓器もシェアできるよう意思表明しておくのが自然かな、と思う。自分がしてもらって嬉しいことはやっていく方がいいよなあ、の気持ち。
 
「推す」とはどんな感覚なのかとツイートしたら何人かから意見があった。お金を使うきっかけ、好きだと言う気持ち、推奨したいもの、などなど。どの解釈を聞いても自分の中にはない種類の回路だった。
私は好きなものはいくつもあるけど、ほとんどにおいてそれを推奨したいとかぜひお金を使いたいとまでは思っていない。お金を使うときは納税だとは思う、でも実用性のないものなどは買わない。
こういう、好きだけどそういう好きじゃない、みたいな気持ちって他にもあるのか? と考えたら「付き合うには楽しいけど結婚したいわけじゃない」とか「好きだけど付き合いたくはない」みたいなものが近いのかもしれない。それはそれ、これはこれの理論。
一応、自分が好きでかつ推進していきたいものは「生きること」なので人間最推しの地球箱推しみたいな感じになりそう。どういうこと?
 
テレビで中国語講座を見た。総まとめの前編で発音から始まっていたのでふむふむ見ていたが「第3音が2回続くと1個目の第3音が第2音の発音になる」と言われてはてなマークがたくさん出た。難しいイメージのある言語だったけどこんな初手でつまづきが見えるとは。
 
舞城王太郎『私はあなたの瞳の林檎』読了。
最初から最後まですごくよかった、久しぶりに前のめりで読んでしまった。相変わらずの疾走感。感想は9日の部分で書いたので割愛、私は錆びた扉。
 
 
いい本を読むとわざわざ感想を書いたりこうしてリンクを貼って買えるようにするけど「推している」感覚はやはりない。熱が持続しない。持続しても別に不特定多数に好きになってもらおうとは思わない。プレゼンも苦手だし。
そもそもにして自分が好きなものを誰かに好きになってもらおうという感覚がない。人には趣味があって、それは押せば曲がったりどうにかなるものではない。だんだん慣れていくことはあるだろうけど。趣味が同じであることを何か誉れ高く清らかなことだとは思わない。同じ趣味について延々話すよりも違う趣味のことを聞く方がおもしろい。
身近に同じ趣味の人をつくるくらいなら最初からそれを好きな人を探して仲良くなるほうがいくぶんか楽だし、新しい風が入ってくるからお得感もあるし。だからわざわざ推そうとはしないのかもしれない。少し納得した。
↑これは「普及を兼ねた推す」かもしれない。
 
■8月11日水曜
帰宅の日。今回もずいぶんごみをつくって捨てた。ごみの捨てるペースとつくるペースの釣り合いが取れておらず、やっと収集所に持って行って床が見えるようになったと思ったらまたすぐ床が埋まる。何度も繰り返してごみを出し切るしかない。
片づけをしている自分たちはどのへんのごみがなくなったとか進捗がわかるけど、知らない人が見たら「何がどう変わっているの?」と思うかもね、と母が言う。それでも進んでいる。革命もローマも片づけも1日にしてならず。
 
ティッシュ2箱とラップ2本と手拭い何枚かを持ち帰る。お盆帰省も兼ねていたのでお供えのお菓子ももらった。
今回の行きの道中で駅ビルに野菜の直売所のようなものを発見したので帰りに寄る。野菜がさぞ安く売られているに違いない。覗くと大きめのナスが3本入って100円、ズッキーニも2本で100円、きゅうりも4本で100円など思ったとおり安かったので700円分買った。ちょうど家の野菜がなくなるところだったし。また次来たときも買おう。家の近くにもこういう直売所があると嬉しいのだけど。
前回買って大変おいしかったベーグル屋は時間が遅かったせいか好きなものがなく、買わず。そういう日もある。
 
母と株など資産運用の話をする。今の利回りや優待、仮想通貨のことなど。
母が個別株に少し興味があるようで、こういう優待があるよといくつか見せる。優待好きそうだから個別株も買ってみたらいいのに。年齢的にネット証券となるとやりづらいのかもしれない、ネット証券でなくても買えるはずだけど。
 
解散し、デパ地下めいたところでおみやげを買う。時間が時間なので開いているところが少ないけどおいしそうなものを買う。
待ち合わせ用のいすがあって、座ろうとしてそのまま帰った。外に出ることがずいぶん減ったからこういうチルスポットでチルすることもなくなってしまった。さみしい。
 
帰宅。夫におみやげを披露して荷ほどきする。ほどなくして夫が「よし、倒立するわ」と布団をよけていたので見ていた。マラソンで言うところのクラウチングスタートに準ずるポーズを何度かやってついに倒立する。記念に写真を撮った。
「新しいことした感じする」と満足そうだったのでよかった。「明日はブリッジしたら」と言うと「ブリッジはできることわかってるからなあ」だそうだ。
 
家計簿をつける。私の不在時に夫がスーパーに行ってくれたけどその支払いを自分の財布と家の財布から混ぜて出しており、夫の財布からは20円、家計簿からは80円誤差が出てしまいてんやわんやした。最終的に夫が銀行でお金を下ろした分の計算をしていなかったことをきっかけにしかるべき財布に納まるべき金額が戻った。
私も前に同じことをして要らん苦労を負ったので、以来一旦家計から出してあとから自分の財布と調整するようにしている。夫にも家の買い物をしてくれるときはいったん家計から出してもらう旨伝える。
それとは全然関係ないけどFPの3級とか勉強してみようかな。暇だし。
 
■8月12日木曜
前に打ち合わせしたものについてキャンセルの連絡を入れる。入れてからやっぱり多少無理してでも受けておけばよかっただろうかと悶々とする。すぐに動けるものではないので準備期間だと前向きに捉える方がいい。多分絶対に今申し込まないともう二度と参加できないってものでもないだろうし。
今回の内容が私もできるけど夫の方が向いていそうだしそろそろ新しく何かしてもいいころかなと思って、どちらかと言えば夫にやってみてほしい内容だった。ので、断りと入れるのは夫が始める新しいことの機会損失をしてしまうのでしばらく苛んでいた。いやまあ実際あとで申し込みすると言ったらいいと言われると思うんだけど。なんか自分の行動が他人の行動を制限したと思うとぎい……い……となる。
「ぎい」と言えば漫画『からくりサーカス』のギイ・クリストフ・レッシュですね。大好き。
 
↑名前に自信なかったから調べたら2018年にアニメやってたんですか? どうして? しかもちゃんと1話から最後までやってるんですね? いやほんとにどうして。あらゆる意味でで~~~っかい作品なので興味がある方はぜひに。私は3回目くらい読んでやっとしっかり話がわかりました。『月光条例』も途中まで読んだけど藤田先生こういう話好きですよね。
 
 
夫がブリッジをしたので下にもぐりこんでしばらくのんびりさせてもらった。
屋上などから飛び降りをするときどうして靴を脱ぐのかよくわかったいなかったけど遺書用の重しにしていることに気づいた、そんなことしなくてもジップロックに入れて服にしまっておく方が楽ではないのか、と夫に言ったら「今でこそだね」と返事。文明が文化を変えていく例。
わざわざ遺書をしたためて命を賭してまで生きている人に訴えたいことがあるのに、直接は言わないのもまた面妖である。肉親などへ直接連絡したら決心が鈍ると思うのだろうか。それなら遺書を書くのは彼らなりの誠意というか、背水の陣なんだろうか。まあでも死ぬことが身近な選択肢でなければ遺書って書かないもんな。独立するために会社辞めるのがありなら死ぬ決心のために遺書書くのだってありだわな。
 
生活保護受給者への派手なバッシングを見た。さわりだけ。
好き嫌いは感情の動きでどうしようもないし、発言者のあの立場まで行けばおよそ自分が受給者にならないことも想像に難くない。発言の自由もある。ので発言したこと自体は私はかまわない(そういう意見がないと議論も生まれないし)と思っている。
その上であの意見には賛成できない。理由はまだ感情が反射的に機能しているだけで論理立ててはいないのだけど。あとまあ、ああいう炎上商法は苦手。去年noteをやっていたけどあるライターの炎上の内容があまりにも不快感が高く、嫌になって退会した。似たような内容で2回炎上していたのも堪えた。以来苦手に思っているメディア。炎上せずに生きていきたい。
 
通販で買った通帳ケースの色交換を昨日頼んだ。まだ返信がなく、注文も多いだろうから忙しかろうと思っていたけど夫が「お盆休みだしね」と言っていたので驚いた。今お盆休みなのか。そういえば今月の祖父の家の片づけはお盆に合わせてるって母が言っていたな。
カレンダーに完全に取り残されている。それはそれで気ままなので悪いものではない。急ぐ用事もないし。
 
■8月13日金曜
母が個別株に興味を持っているのでよさそうな優待をくれる銘柄をいくつか見繕う。そのうちおもしろくなってきていくつか自分用にもほしいなあと思う。ここは伸びるのではという銘柄があって、優待はないけど配当はあるし、そんなに高くもないので買っておこうかな。
株は面白い、すっかりはまっている。長い目で見てじわじわ値上がりしておくれ。仮想通貨ちゃんもよろしく頼むね。
 
入っている保険でテーマパーク入園チケットの割引券の抽選申し込みが始まった。興味のあるテーマパークなのでとりあえず申し込む。当たるだろうか。最近いろいろ当たってきたのでそろそろ落ち着くかもしれない。それはそれで他の人たちが楽しんでくれるのでまあいいか。
 
この日は書くこと全然ないや。そういう日もある。
タオル類を一気に洗濯をして全然乾かなかった日。晴れてくれ。
 
■8月14日土曜
創作の修正を少しする。友人が感想をくれ、にっこり。もう少し何か書こうかなという気持ち。
 
夫が昨日からコロッケにご執心。「つくってくれる?」と聞くので「コロッケ大臣ではありません」と言ったら2時間ほどかけて夫がつくってくれた。コウケンテツ先生曰く「つくるのにすごく手間がかかるのにいまいち家族に喜んでもらえないおかずトップ3」の1位がコロッケだった。はず。3位がシュウマイ。2位は春巻きだっけ。
私もよくやるが、油をけちって衣がきつね色にならない事件が起きていた。びびっちゃうというか、もったいなさとか処理のめんどうさがあってぎりぎり足りる量を狙って結局全然足りてないんだよなあ。揚げ物に対する思い切りがほしい。
コロッケはすごくおいしかった。夫は仕上がりに納得していないようで今度私がつくってみることになった。さいわい炒めたひき肉と玉ねぎがまだ残っているから明日じゃがいもだけ買ってこようかな。上手にできるだろうか。
 
台所に吊るすタオルの入れ替えをする。5枚くらい足したのに処分するのが2枚しかない。もう2枚いきたかったが「もったいないから」と夫に止められてしまった。もらってきたタオルを使わない方がもったいないのでは。
 
これを書きながら好きなバンドの音源を聴く。前身のバンドから好きだったけど今もやっぱり好きだ。ブログもちまちま読む。どうしてこんなに静かで悩ましく、やや健全さに欠けた童話のような退廃的な歌詞や文章を書けるのだろう。比べて自分の文章の底の浅さと言うかへこみさえもない様子にへこむ。これは出来のいいギャグですね。
実際へこみはしないのだけど、どうやっても理想の文章は書けないなと頷く。足は肩幅に開くし、腕も組んじゃう。
その人がつくった歌詞で「処刑を待つ僕たちは明日しあわせになれるのかなんて飽きもせずに考えている/それはくだらないこと?」とあって、私の中でひとつの答えになっている。考えても仕方ないことでも考えずにはいられないし、今日考えてだめでも明日考えたらどうにかなるんじゃないかと夢見てしまう。そういう場合の多くは考えてもどうしようもないし八方塞がりなことばかりだろうけど、人は眠ると夢を見てしまう。それは止められない。
理想の文章の部分を突っ込まれると詰まる。そこを形容できるならもうだいぶ脳が理想に近い。強いて言うならもう少し読み口の軽いものを書けたらいい。でも読み口の軽さって骨を大量の知識で肉付けしてから適度に削らないといけないのでまだ遠い。きっと死ぬまでにこれはまあまあじゃない? と思えるものが書けるでしょう。人は夢を見るから。
 
舞城で勢いづいて本読むぞの気持ちが熱い。上田岳弘『ニムロッド』を買ってあるのでぼちぼち読むつもり、ハードカバーなんて何年ぶりに買っただろう。私はPeople In The Boxのオタク。
 
◎ニムロッド

youtu.be

→上田岳弘『ニムロッド』が生まれるきっかけになった曲です。「科学はいい線までいった/愛と迷信をスポンサーにして」という歌詞ね。これもまたすごい組み合わせ。
 
もう15日の朝6時半。雨が外を歩いたらズボンの裾はおろか風の吹きつけで太ももまで濡れるような強さと量ででずっと降り続いていて、災厄の前日譚かよ。朝なのに光が全然入らない。昨日今日は平気だったけど低気圧頭痛キックはたまに食らうので即座に薬クリンチをかます。こんな天気でじゃがいも買いに行けるんだろうか。
 
おわり
 
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