4月2日~9日 押入れには倍以上のカエル
■前回の日記を読んだ夫が「アドラー心理学の教えに自力で近づきつつあるから、今『嫌われる勇気』読んだらおもしろいと思う」と言われた。先に借りていた似鳥鶏の『叙述トリック』を読み、返却してから『嫌われる勇気』を借りた。ちらちら読んでいる。
「青年出てきた?」という問いに「1ページ目からいるよ」と答えたら「あの青年ヤクやってるから気をつけて。でないとあんなテンションにはなれないから」と注意される。
てっきり青年は、己が正しくて他人を導きたい欲にまみれつつも”誰か”が持つ圧倒的な正しさに打ちひしがれ導かれたいとも願う熱血漢だと思っていた。薬物依存者でも確かに通るか。哲学をたしなむ薬物依存者もいるだろう。昔なんかそんな人ばかりだっただろうし。
■『嫌われる勇気』の最初の方で青年が「カフェの店員にコーヒーをかけられた。一張羅を着ていたので思わずかっとなって怒鳴ってしまった。私は日ごろ温厚なのに」と言っている。そこに至るまでの話を読むと哲人に対して結構失礼な態度をやっているので、この人は普通に怒鳴る側だと思う。
■怒鳴るというか、いきなり大きい声を出す人ってすごく苦手なんだよな。子どもとか笑い声ならまだいいんだけど。声のボリュームが上がるだけで相手の話そのものを聞けなくなってしまう。威圧されようとしている、と私の脳が判断するんだろうか。
落ち着いて話ができない人と一緒にいるのはかなりつらい。言いたいことは全部メールで送ってって思う。
■壁面収納が完成した。すべて100円ショップで揃えた。都合770円。安い。使い勝手もいい。
鴨居を起点に細かいパーツをいくつも組み合わせているのでジョイント部分が8ヶ所と多く、しかも8ヶ所すべてにS字フックを使っているためかなり揺れる。揺れるが一番上のS字フックにかばんを引っかけて重しにすることで事なきを得た。助かった。
壁面収納と言っても大したものは置いていない。財布、毎晩飲む鉄分とビタミンCサプリメント(ピルケースに移し替えている)、リップクリーム、目薬、ふせん2種類、私しか使わないペン4本、ハンドクリーム、ネイルオイル、眼鏡拭きくらい。一時的におやつも置いている。ひとつひとつは小さいが数が多い。壁に浮かせられたことで机がかなりすっきりした、嬉しい。
これで自分のスペースの片づけ、整理はいったん終了。あとは気になったタイミングで要るもの要らないものを整理して収納も見直す。見直すのが大事。
ステンレス素材の収納用具を使っているので、こつこつ蒐集しているカエルのフィギュア(のマグネットタイプ)を貼りつけられるのもいい。嫌いな人が見たら本当に嫌な気持ちになるんだろうな。押入れには倍以上のカエルがいるから泣くと思う。リアルな造形のものしか買ってない上に薄暗いところに置いてあるからなおさら。
■カエルに限らず両生類とか爬虫類とかああいうフォルムならなんでも好き。ヤモリとかカナヘビのフィギュアも集める。
最近楽天で4,000円ほどのカエルのキーリングを見つけ、しばらく買うか悩んでいる。キーケースは夫とお揃いのを使っているからキーリングそのものとしては使わない。構造上どこかに引っかけて飾ろうとしてもトップ(カエル部分)が重いからひっくり返ってしまう予感。ほしい気持ちはありつつも断念中。でもかわいいんだよなあ。
■カエルの卵のフィギュアもあるけどそれはさすがに飾ってない。卵が好きなわけじゃない……。
■衣類の整理もした。冬用インナーを2枚処分。穴が開いた靴下を発見したので処分。くたびれすぎていたTシャツやこの1年着なかったYシャツを切って雑巾入れに移動した。
衣装ケース内の配置も変えた。
個人用衣装ケースと夫婦共用衣装ケースがある。私の下着と靴下が共用ケースに入っていたので個人用ケースに移した。共用ケースには運動用のウエアやスパッツ、冬用のタイツなどしばらく使わわないものを入れた。これで着替えのたび、服を個人ケースから取って押入れを閉めて靴下を出し忘れたことに気づいてまた押入れと衣装ケースを開けて靴下を取るという謎の手順を踏まなくてよくなった。嬉しい。個人用ケースは押入れの持ち手側なので開けるスペースも短くなった。
私の時間がどんどん楽になっていく。
■ちなみに共用衣装ケースとは名ばかりで、内容物の9割は夫の部屋着である。Tシャツだけで10枚以上ある気がする。冬用フリースなどは除く。
■さらにちなみに、私の外出着の総数はオールシーズン合わせて15枚。コートやマフラー、喪服は除く。だいぶ減った。衣装ケースもクローゼットもさっぱりした、通年使う想定の服がほとんどなので衣替えの必要もない。もしかしたら冬服を追加するかもしれないけど、トータルで20枚はいかないようにしたい。本当は15枚を守っていきたい。でもそうなると何かを入れ替えないといけないんだよなあ、靴下の処分でも帳尻合うかな。
部屋着は年間通して10枚程度。Tシャツや冬用のフリース込み。インナー類は除く。靴は4足。滅多に使わないジョギングシューズも1足あり、処遇を考えている。
衣類に関してはミニマルだと自負している。たくさんあっても毎日外に出るわけじゃないし、服選ぶのめんどうだし、決まった組み合わせでしか着ないし。
適当にこれとこれでいいやと選んだ服で外に出られるようになりたい。楽になりたい。なりたい楽さに近づけていく。
■おしゃれだと思われたくて服をたくさん買うよりも、3キロ体重を落とす方がよっぽど効果ある。結局究極のおしゃれは引き締まった肉体が着る、骨格に適した白いTシャツとジーンズなんですわ。
■なので今年も引き続き筋トレをまめにする。
月1で体重を量り続けてその月の筋トレ具合と照合してきた結果、1日5分でも筋トレをしていれば体脂肪減、筋肉量増になる。少しさぼるとすぐ戻る。せっかくついた筋肉が定着していないのだろう。毎日こまめに筋トレを続けていけば筋肉が定着してイカした肉体になるはず。
次の春に挙式をするならばすでに1年切っている。なんでも早く始めるに越したことはない。
それに1日5分程度の軽い筋トレで肉体が変わっていくのはおもしろすぎてやめられん。食事制限は何もしてないのに。まあそれだけ余分なものがついていたという証左でもある、がはは。今年はしっかり痩せよう。ボディメイク側に行く。
■断捨離をしてよかったこと。
整理整頓ができたのでどこに何があるかすぐにわかり、取り出せること。
居場所を整えたので座っている場所で日常のほとんどの動作が完結できること=何かするのに「立ち上がって持ってくる」など他の動作をしなくてよくなったのですぐ始めてすぐ片づけられる。
そして一番は「自分が何をしているか客観視しやすくなったこと」。これは本の影響もあるかもしれないけど。
やらないといけないことを先延ばしにしているときに「ああ今先延ばしにしてゲームしてるわ」と気づけるようになった。気づいてもゲームはするんだけど。
何事も改善の第一歩は「自覚すること」なのでいい傾向だと思う。依存症もまずは「自分が依存症だ」と自覚することが治療の第一歩って書いてあったし。無知の知と一緒。
■依存症豆知識。アルコール依存症は「否認の病」とも言われるそう。
①自分はアルコール依存症ではない、という否認。
②自分は酒さえ飲まなければまともな人間だと信じる、己の問題に対する否認。
②に関しては「そうは言ってもこれまで酒を飲みまくらないとやってられない問題に向き合わなかったからこうなったんやろがい。酒を飲んでも飲まなくてもその人の人間性は変わらんと自覚せえ」の意味らしい。深く納得した。
酒に頼って現実逃避をせざるを得ない問題があるのに、そこから逃げ続けて酒に向かい続けた心の弱さというか隙というか。根本的な「逃げた理由」が解消されなければ他の依存症になってまた似たようなことを繰り返すのだろうし。だからこそ「酒さえ飲まなければ自分はまともだ」と信じることが治療の妨げになる。
■私も自分のメンタルコントロールができなくて、何度も夫に当たってきてしまった。かなりつらい思いをさせた。日が経てばいらいらは落ち着くけど根本の解決ではなくて、ただそのときの嵐が過ぎ去っただけ。時期になったらまた来る。やっと今年の1月の大揉めを経て根本の解決がなされたように思う。少なくとも今までよりも解決に近づいた。心も持ちようが変わったから。
並べるのも申し訳ないけど依存症もその延長にあるんだろな。
今ある問題が暫定的な方法で対処できてしまったから味をしめて繰り返すんだろう。きちんと向き合わずにやりすごし続ければいつかどこかで破綻する。世の中にはそういうシンプルさがある。
■アルコール依存症のことは前に書いた気がするな。
■ログ調べたら書いてなかった。初出です。みんなも日本断酒連盟の記事を読んで依存症に詳しくなろう。
「ひとくち講座」の「二つの否認」の項で否認の病について書かれています。ぜひ。
■ワンピースを90巻まで読む。おもしろいけど夫ほどはまってはいない。
「キャラクターが新しい技を覚えたりするのは紗季さんの好きな”成長の瞬間”じゃないの?」と聞かれる。そういえば考えたことなかった。好みの成長ではないな。多くの新技の会得は感覚を研ぎ澄ますに尽きるから、それを精神の成長だと認識していないのかも。現実には無理じゃんとも思っちゃうし共感しづらい。心構えの変化とか肝が据わるのが好き。
「じゃあモモノスケがルフィに頭下げるところは?」
「モモノスケはまだびーびー泣いてるだけでとくに何もしてないからなあ。成長した感が薄いかも」
「億泰くんにはどんなところに成長を感じたの?」
「億泰くんは好きなんだけど成長したから好きなんじゃないんだよ。町に帰るあのシーンが好きなのよね」
以下2021年2月28日更新(多分)の日記より、億泰くんについての記述。
-----ここから-----
億泰くんは「俺馬鹿だからわかんねえけどよお」と言いながらも考えることはやめないし、「俺馬鹿だから、お前らと一緒にいても足手まといになるだけだ」とも言わない。周りに頭がいい人がいても引け目を負わず、自分は自分であると堂々としているところがすごくいい。お兄さんの死に対しても「兄貴は悪党だったけど最期に俺をかばってくれた」と深い悲しみも持っている。ふたりだけの家族として大切に思っていたんだろうな。
お兄さんが最期からもわかるとおりお兄さんは億泰くんのことを大切に思っていて、汚れ仕事は自分が担ってきたんじゃないかと思う。お兄さん的には億泰くんにこちらに踏み込みすぎてほしくなくて冷たい態度を取っていたとして、億泰くんのスタンドが顕現した理由が「兄との心的距離を縮めたいから、兄の役に立ちたいから」だったらあまりにも悲しいすれ違いだ。父親との距離と言う可能性もある。いずれにせよ。
-----ここまで-----
当時の日記を読むにやはり億泰くんの成長を喜んでいる様子はない。彼の心の在り方と、町に帰るシーンがとにかく好きなだけ。
あんまり意識したことなかったけど、「成長」に関してこだわりがあるっぽい。めんどくせ~こだわり。
■今夫に「最後に町に帰ることを自分で決めたのは成長じゃないの?」と言われた。確かに?
■90巻までのワンピース屈指の名シーンはホールケーキアイランド編の、シフォンのお父さんがシフォンたちを逃がすシーンですね。親子の愛情を伝えるシーンは数あれどここほどいいと感じたシーンはない。なんでだろう。
難しいことは何もなく、ただ父親が、生後すぐ母親に奪われて一度も抱かせてもらえなかった娘と、その娘が生んだ、名も誕生日さえも知らない子どもへの深い愛情が伝わるからかもしれない。親が子を愛すってこういう無条件さがあるよなあ。親側の描写なのがよかったのかも。今までのこういうシーンって子どもからの目線が多かった気がする。
■もちろん親が子を愛せないことが悪い、みたいなことは言わないし思わない。どれだけ腹痛めて生んだって他人だし。
虐待を受けて育った子が成長して子をなしたときに必ずしも虐待しないように、親に愛されて育った子が自ら生んだ子を愛せなくても不思議はない。すべてにおいてどっちのパターンもある。
■架空のキャラクターの成長にあれこれ言うより己が成長していけという話。
■2冊読み終わったのでリンクだけ貼っておきます。前者の感想は先週の日記に、後者はタイトルの通り叙述ミステリなので何も書けません。読み口が軽いので読みやすいです。
おわり
↓よければクリックお願いします!