日曜日の朝

毎週日曜日朝8時30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

4月24日~30日 人生初の財布紛失

■怒涛の仕事の週。勢いのあるリピーターができて、今日来てあさって来てその次の日も来るみたいなことが起きていた。そんなに気に入ってもらってありがたい限り。あぐらをかかずにしっかりやっていかないと。
今月はそこまで仕事がないと思っていたのにあれよあれよと先月、先々月くらいの件数になった。上記リピーター以外のリピーターも来てくれて、今はこういうことで金銭を得ていく時期なんだろうなとあらためて感じた。今の流れを大事にしてもっと勢いに乗せていきたい。
 
■その一環でやらないといけないんだけどな~と思っていた仕事のいろいろなことを少しずつ進めた。サイトをきれいにしたり新しいサイトに新しいものを出したり。
やらないといけないんだけどな~と思っていたことが終わると気分がいい。やり始めれば1~2日でできるんだからさっさとやったらよかったとも思う。まあでも人ってそういうもん。牛歩でも着手して期日までにきちんと終わればそれでいい。
SNSの更新もうまくいかなかったらいやだなあと渋っていたが、私はしなやかマインド(になろうと練習中)なので「やってみないとうまくいかなかったかどうかはわからないし、やってみればうまくいくかもしれないじゃん。いまいちな投稿だったらアーカイブできるしとりあえずやってみよ」と気持ちを変えることにした。我ながらいい傾向だ、マインドがしなやか。
仕事関係でてこ入れしたいところがまだあるので地道に。
 
■やらないといけないシリーズのひとつ、掃除もした。冷蔵庫の上のものをどかして拭いて、台所の収納のドアも拭いてレンジ台も拭いてトイレもがっちりきれいにした。使い捨て手袋のありがたさよ。掃き掃除もまんべんなくする。
掃除をするとごみが出るのでなるべく燃えるごみの前日にしている。毎週何曜日に掃除すると決めても途中で嫌になるので(実体験)週に何回かあるチャンスのうちのどっちかでやる、くらいの方が気が楽。ごみ出しは必ずするから覚えやすいし、明日ごみの日だからごみをまとめるついでにほこりでも取るか~と思えやすい。目的に対して適した契機と適した動作がある。
 
■人生初の財布紛失。カフェに忘れていたらしくすぐに見つかったし中身も全部あった。
なくしたのに気づいたのがカフェを出てから4時間後。デパートで買い物(バーコード決済)をしてレシートをしまうときに気づいた。長財布でも意識しないと気づかないぽい。
カフェに電話をかけてもつながらず、夫に警察に聞いてみるといいかもと言われたので駅の規模に適した混雑の警察へ行き、遺失物届を出し、夫がこちらに来てくれるので合流。夫がカフェに電話をかけ続けてくれた結果つながり、保管してもらっていることがわかった。ありがたいこと。私がカフェに鬼電していればすぐ見つかっただろうに、わざわざ来てもらって心強かったので晩ご飯を食べて帰る。
警察へ財布が見つかったことを伝えたら「発見で処理しますね」と言われた。見つからないことも当然あるんだろうな。運がよかった。いい人生だ。
 
■夫に「元気?」と聞く。だいたい毎日聞く。返事の具合で元気かどうかをはかっている。先週ごろからまた元気がなく、「元気だよ」という返事に「実際は空元気?」と再度聞いていたのだけど、やめた。空元気であっても夫本人が「元気」と言っていることが大事だから。
だいたい空元気か聞くのは「嘘をついているのを知っているぞ」「こちらの望んだ答えを出せ」と言っているのと同じだ。夫自身が元気だと答え、そうあろうとしているのに水を差す必要はない。空元気かどうかはその後の過ごし方を見ればわかるんだし、聞く必要もないなと判断した。ひとつの成長である。
ここ数日はかなりしっかり元気そうにしている。3月頭から数えて2回目のまじ元気のターン。夫が元気そうにしているとやっぱいいな。
 
■よく考えると元気かどうか聞くのもあまり意味がわからない。自分でやっているのに。言霊を信じようとしている?
 
■つくり置きをする。最近はコールスローとアリゴ風マッシュポテトの出番が多い。コールスローは1.5Lのタッパーに並々できた。今回はほうれん草のごま和えもつくった。
つくり置きは一気にいろいろつくるからめんどうだけど、一度つくってしまえば何日かは副菜の心配をしなくていいのが嬉しい。おなかがすいているときにメインをつくって汁物つくって副菜もとなるとどうしても忙しいしめんどう、段取りも考えないといけないし。暇な時間に副菜をどっさりこさえておけば適当なご飯のときでもちゃんとして見えるからいい。自分を助けるのは基本的に自分。
 
■コーヒー用にフレンチプレスマシンを買うのもいいなあと思う。おいしいコーヒーに興味がある、楽そうだし。軽く調べてみてよさそうなものはあったけど、コーヒーかすを取り除くのがめんどうそう。形状的にごみ箱に捨てきれず排水溝に流すことになる予感がする、それだとなんかなあ。かといって毎回お茶パックに入れるのもちょっとめんどう。お茶パックに入れたら結局濾過してるし今と変わらない感じがする。あと洗うパーツも多い、細い筒状なので手を入れて洗えるのかも気になる。見た目は最高におしゃれなんだけど。
それなら金属フィルターがいいのではと気づく。コーヒーかす問題は長い筒状のものよりフィルターの方が捨てやすい気がする。ごみ箱の上でひっくり返して残った分は火傷覚悟で指でささっとはらえばいい。洗うパーツも今と変わらないし、ものすごく長い目でみればペーパーフィルター代はいつか回収できる。要検討。
 
■このままコーヒーが妙にお金のかかる趣味になったらなんかいやだなあ。適度なところまで来たらそこから進まないようにしたい。きりなさそう。趣味に属するものはすべからくきりがないが。
 
■友人の誘いで若手俳優のイベントへ行った。匂わせの話を聞き、あれだけ嫌がられているものをどうしてやるんだろうねみたいなことを言った。バレてほしいのにバレないからどんどんエスカレートしているらしくちょっと笑った。人って生き物はほんとうにどうしようもないね。
 
星野道夫旅をする木』読了。漫画『働かないふたり』で知って気になっていた本。
「いつか、ある人にこんなことを聞かれたことがあるんだ。たとえば、こんな星空や泣けてくるような夕陽を一人で見ていたとするだろ。もし愛する人がいたら、その美しさやその時の気持ちをどんなふうに伝えるかって?」
「写真を撮るか、もし絵がうまかったらキャンバスに描いて見せるか、いややっぱり言葉で伝えたらいいのかな」
「その人はこう言ったんだ。自分が変わってゆくことだって……その夕陽を見て、感動して、自分が変わってゆくことだと思うって」
人と関わっていくことの根源ってこういうことなのかな。最後の話の「死は命の終わりではなく、その先も役割が続いていく」みたいなところもすごくよかった。ゴールデンカムイの杉元が牡鹿を仕留めそこなった話にも通じている、そちらも染み入る話だった。他の生き物の命をもらって私たちは生きている。
アドラー心理学の「存在の感謝」や知床遊覧船の事故と相まって、私や私の大切な人たちが元気に生きている日々はとてつもない奇跡なんだとあらためて感じた。生きることは奇跡の連続だと昔思ったのだけど、本当にそうなんだよなあ。
 
■株の損益がずたぼろである。海外株の含み益を日本株の含み損がすべて打ち消している。かろうじて6,000円含み益。株やってるって感じがしていい。今は別にいいから必要な時期になったらしっかり上がっていてほしい。
 
■最近の自分が、何がどうかはわからないけど「いい」感じになっている。視座が変わったと言うのか。この状態を維持しつつ隙あらばよりよくなっていきたい。いい人生をやっていきたい。
 
おわり
 
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