5月16日~22日 日常に即した手品
■5月16日日曜
「散歩すっか!」と言ったら返事がいつもの「行くなら行くよ」だったのでやめようかと思い、決行した。朝6時の話。
返事的に本当は行きたくないのだろう、他のことなら「いいよ」と気前よく言う。気づいた上で明確な拒絶ではないので連れ回した。弁明すると夫の運動目的ではなく、私の趣味に付き合ってもらっただけである。
コンビニをいくつか回ってお弁当を手に近所の公園へ。紙パックに入ってる1L100円のお茶を買う。私が高校生のころ、同級生たちはみんなこれを買ってた。桃水も人気だった。あと1cmあれば蛇腹部分が飲み口の上に出るストローで、みんなが蚊のように飲んでいた。
リプトンの500ml紙パック派も根強かった。グッズキャンペーンの応募シールを机の足や下敷きに貼っていてわかりやすい。痛バッグの走りだと考えられる。
公園は賑わっていて家族連れも多い。ランナーも多い。
園内での球技禁止アナウンスが流れるなかでサッカーをする親子を見た。もしボールが老人にぶつかって転んで死なせたりしたら大変なことになるんだろうなあなどとお弁当をつつき話す。ちょうど火災保険の更新にあわせて補償の見直しをしているので勝手に心配する。
昔同級生が事故で亡くなり、その親らが離婚するのを見た。子はかすがいだけど、かすがいが抜けた木材はすぐ倒れる。
公園の家族がそういう覚悟の上でやっているのかはわらかないけど、球技専門の公園があったらそういう事故は減るのかな。順番待ちがすごそうだけど。
お弁当を食べてだらだらしていたらスーパーが開く時間になった。軽く公園を歩いて木の紹介看板を見る。月桂樹が思ってたのと全然違った。冠に使われるイメージだからもっとヒイラギ的な葉だとばかり。でもローリエだと思うと妥当な見た目になるから不思議。印象の勝手さよ。
買い物に向かう。久しぶりに夫とスーパーに行った。まれに見かけるグラム確認レディがいなくてよかった。いたら夫は泣いて帰っていただろう。
このレディは、陳列された商品をひとつも見逃さずに、すべてのパックのグラム数を確認する。ある日はメカジキの切り身を、ある日はベーコンを。棚の一番奥にも果敢に手を伸ばし、あちこち見比べ、時間をかけて吟味したものから1点だけ、自分の胃に適した重さの肉や魚を買っていく。このご時世にすごい胆力なので、邪魔しないようやんわり避けていく。怖い方の小川洋子作品にいそうな人。
初めて見た日はメカジキをチェックしていた。私も生魚を買う予定だったけど初見だったせいで驚いてしまい、冷凍の魚を買った。世の中にはすごい人がいる。
帰宅後ほどなくして寝る。一瞬目を覚ましたときに夫がどえらい寝相になっていた。いろいろ丸見えだったから写真を撮るか迷っているうちに「すごい寝相だよ、おなか冷えちゃうよ」と声をかけてしまった。「うん」と一瞬起きて、一瞬で衣服を直してまた寝た。日常に即した手品。
「なんとかウェットティッシュが1ヶ月保ちそう、よかった」と起床後の夫。
「3パックのうちの1パック?」
「ううん、3パック」
「3パック120枚だよね。家で何をそんなに拭くの?手洗うんじゃだめ?」
「え? ……確かに。うわ、何を拭いてるんだ? 全然わかんない。やっぱ病気なんだろうね」
夕食後、「あ、今僕携帯拭きました。1枚使いましたよ」と申告してきた。携帯を生肉にでもぶつけたか?
■5月17日月曜
ルーンファクトリー4の進捗。
アーサーとついに結婚した。前回のようなマリッジブルーになることもなく、晴れやかな気持ちで結婚式を挙げることができた。嬉しい。アーサーはああいう優しい質なのだけど、その芯は太く、曲がったことは正攻法をいくつも駆使して正していく強さがある。そのわりにフレイちゃんにはべっとり甘いので「雄」を感じてよい。超いい。乙女ゲームだったらこの人以外攻略する気しないと思う。
なのに前回の結婚はなんであんなにショックだったんだろう。今回は他のキャラクターたちとのイベントを経て、やっぱりアーサーが一番いいと確認できたから落ち着いて結婚できたのかもしれない。遊び人の結婚相手選別方法もこんなんなのかな。
シアレンスの迷宮もくすぶる紅炎をクリア。水竜の羽びれははたしてシアレンスの迷宮をクリアするのが早いか、それとも釣るのが早いか。水竜の羽びれがあれば新しい杖がつくれるから早めにほしい。
夫が黒い嘔吐をした。ティッシュに吐き出したものとトイレに何度か戻したのを一緒になって見た。医者に行くかもしれないので写真も撮った。
聞いたところ気持ち悪いとか痛いとかはなく、原因は一切不明。起床直後にげっぷと姿勢が最悪の交錯をして胃液がせり上がったこと以外に心当たりはないとのこと。
起きてから10時間以上経っていたし、今さらその胃液が悪さすることがあるだろうか?
写真撮影ののち夫による鬼検索の結果、直前に飲んでいた鉄サプリであろうことが判明した。DHCの黒い粒である。これの胃液で少し溶けたものが出たのであろう。知恵袋にも類似の質問が多く寄せられており、ほぼこれで間違いない。
「さすがに紗季さんもビビった?」
「ビビるというか人体でこんな色つくれるんだって思った」
明日鉄サプリを飲んでないのにもう1回出たら本気でビビるだろうな。
かなり久しぶりに掃除をする。湿気で床がべたついていたからさっぱりしたかった。あと夫の足の裏がなぜか黒かったのでさすがに、と。私の足の裏は黒くないのになぜ。
掃除をすると「いい気分だ、もっとちゃんとやろ」と思うのにいざ掃除チャンスに突入すると「明日にしようかな」と先延ばしにしてしまうのはどうしてだろう。掃除には締め切りがないからか。やはり締め切りが決まった時点で物事はほとんど終わっている。締め切りは人類を苦しめ、同時に救う。
布団もしばらく敷きっぱなしだったので畳んで床に風を通す。こんなにしけった風で意味あるのか、と思いつつ、やらないよりはましだと信じて。しけっていても風がある日でよかった。もう少し晴れてくれれば洗濯もできるのになあ。
ついでに使用頻度の低い調理器具の整理。
短い菜箸は長らく使っていないから処分。ゴムベラと泡だて器はケーキ型と一緒に上の戸棚へ。水切りかごの常設コーナーがさっぱりしたのでこれまたいい気分。
断捨離好きが言う「捨てる良さ」は確かにある。見た目に成果が出やすいからだろう。
使わないものはどんどん捨てていきたいし、使えるものはどんどん使い切って捨てていきたい。で、ものが減ってから収納をあらためて考える。ものが多い状態で収納していっても「捨てるものを収納する」ことになるから無駄な収納代がかかる。それにしまったら絶対出さないし忘れてしまう。家の中に悲しい魔窟ができるだけ。
ルーンファクトリー5の予約をする。ゲームを買うなんて久しぶり。2ヶ月前のライズに関しては納税なので別枠。
ゆたぼんさんのお父さんについて夫と話す。
話の詳細は書かないけど、私は同年代と話すことも大事な学びだと思う。
私も夫も、ゆたぼんさんも彼のお父さんも、すべての物事への価値観を持っている。だけどその価値観だけで世界のすべてがつくられているわけではない。
小説『星の子』でも思ったけど、子どもの意思はどこから大人に尊重してもらえるんだろう。まったく同じことを前回の日記で書いた気がするがもう一度書く。
『星の子』でちひろは親の意思で宗教に入り、叔父と親の意志で家と教団から抜けるであろうことを示されている(ラストの家族で流れ星を見るシーンに親からちひろへの愛が示されていた。最後まで自分たちの信仰で愛を貫く親と、真意に気づかない子という対立。真意に気づかないからこそちひろは親と決別することができる。いいラスト)。
のだけど、高校進学のタイミングで叔父に「うちにおいで(=宗教団体から抜けよう)」と言われたとき、ちひろは「私はこのまま家にいる」とはっきり主張している。それを無視して親から引き離すのは「子の意思を無視する」という点で宗教加入させる親とまったく同じであろう。
宗教に入れるのもそこから離そうとするのも、どちらも大人たちが「勝手に」ちひろのことを考えてやっていることだ。
だけど「親がいるのといないの、どちらがちひろのためになるのか」を「”ちひろ自身が自分で判断できている”と”大人たちが判断する”」のはいつからなんだろう。子どもが何も考えられず、親の価値観を100%近く取り込んだ生き物だといつまで思っていられるんだろう。この不遜な態度は自分の中にある「導きたい欲」とつながってすごく恐ろしい。
自分が親になるとき、何を以てして子の価値観を信頼するんだろうか。「この子はもう大丈夫、自分の考えで生きていける」と。
そう思うと子を持つ怖さがいや増す。ひとりの人格を好き放題できる。小規模だけどかなり篤い信仰心を感じる。
「”赤ちゃん”がほしい」という文言はとくに怖い。その生き物はこれから80年生きるし、「赤ちゃんらしい赤ちゃん」の時期って多分5年もないよと毎度思う。平均寿命3年くらいの生き物を飼うことを勧めたい。子に人格があることを忘れるなかれ。
16personalitiesをやる。
何年か前の広報活動家から変わって冒険者判定。外交官、番人みたいな大枠でさえも違うがどっちが正しいんだろう。どっちもなんとなく納得できる。冒険者の文言を読み上げ夫の判断を仰ぐと「ホロスコープでもそう言われてたし、リーディングでも同じこと言われてたね」と返ってきた。この記憶力が本当にありがたい。
アブリルラヴィーンとフリーダカーロも同じタイプなんだって、と言ったら「パワータイプしかいないの?」と戦いていた。フリーダカーロは絶対この診断やってないからどうかな。
■5月18日火曜
ルーンファクトリー4をやる。1日やる。
シアレンスの迷宮の深水のほこらをクリア。他の階をうろついているときにかなりいけてる杖を発見したのでがちがちに強化してやった。水竜の羽びれはシアレンスの迷宮攻略の前に街の依頼報酬でもらった。とりあえず売ったけど買値30万はいかんでしょ。売値10,000円よ、街に転売ヤーがいるのか?
ルーンファクトリー4を始めて2ヶ月以上経ってるけどまだまだ遊べてる。5もこのくらい遊べるだろうか。懐古厨というかシリーズで最初に遊んだ作品を一番おもしろいと思ってしまう癖がある。脳のつくりが鳥類に近いのだろう。逆転裁判もいまだに無印が一番おもしろいと思ってる。
なので新作で遊ぶときは毎回おっかなびっくりやる。ライズもハンターが日本語をしゃべるのか……とびびりながらやっていた。ライズは本当によかったなあ。本エンディングが最初から入ってたらまだ夢中でやってたと思う。そのくらいよくできた作品。
夫が「1時間半経ったら起こして」と言って寝た。
了承して1時間45分くらいで寝室に入る。いつものごとくリズムよく尻を叩きながら。
いつもは10秒も叩いたら起きるが今日は手ごわく、足元から腰へ、次いで顔の真横に移動して尻を鳴らしても起きなかった。毎回それなりの音量でやっているんだけどな。低気圧で眠いのかな。
念のため足から上に向かって順に夫のからだを揺らした。顔もやんわり揺らしたがこれも起きず。1時間ほど追加で放っておく。
■5月19日水曜
面識のない、知り合いの知り合いのブログを読む。
スピリチュアルなことを信じている人で、昔はまじに大変だったけど今は最高に楽しいです、という内容。非常にいい。この人がやりたいことをやって楽しんでいるように、私は何をしていきたいんだろう。
会社を辞めてアクセサリーをつくって売ったりレッスンをやっていた。
2年くらいやってみて「物体をつくり続けるのってそこまでおもしろくないしまあまあ大変」と気づいた。
こうやって日記を毎日つけているのは楽しい。楽しいというか、すごく自然だと感じる。今日何をしたか、何を考えたか、本や映画の感想、気づいたこととか、考えていかないといけないこと、今の価値観。誰に見せるでもなく好きにメモ的に書いていく。
そういえば会社員を辞めるときも医者の勧めで書いていた。丸1年以上毎日書いてたんだっけな。そのときは毎日更新だったから今みたいな文量ではなかった。タイプが遅くて指が追いつかないため。
文章を書いていくことへの憧憬は強くあった、というかなんとなく「書いていくんだろうな」と思っていた。
中学生のころの話。図書委員が本を紹介する校内だよりをつくることになった。委員の私は貫井徳郎の『慟哭』で参加し、その紹介文が父と母にかなりうけた。
「他の子がただあらすじを書く中で紗季のはちょっと違っててさ、なんかすごかったんだよね。紹介自体がおもしろかったんだよ。読んでみようかなって思わせるような」と母が言い、父は「将来は芥川賞と直木賞両方もらってやれ!」と顔を合わせるたび陽気そうにしていた。ふたりの賞賛に反して私はその文章も、『慟哭』の内容さえも忘れていた。
賞賛されたことだけはよく覚えていて、だからこそ「こんなに言ってもらえるなら書いていくのかもしれないな」と漠然と思っていた。褒められるの好きだし。
そのころは友人と創作をやるのにもはまっていた。友人が絵を、私はやはり文章をつくった。
サイトのアクセスはさほど伸びず、自己満足のログ置き場になっていた。いろんな友人といろんなサイトをつくって、毎日のように何か更新していて楽しかった。
当時の友人とは高校2年生あたりで疎遠になったけど、そのときには高校の新しい友人たちとまた創作をやっていた。わずかながらにアクセスがあり、ネット上で今も細々縁のある人もできた。大学に入ってほとんどやらなくなったけど、今になってまた年1本程度ほど書いている。
最後とその前に更新していたサイトは熱心に更新していた。去年レンタルサーバーが飛んですべて消えた。一番書き溜めていたサイトだった。過去ログ合わせて100本くらい載せてた気がする。昔の携帯にログが残っていれば御の字だけど多分残ってない。
創作よりは日記を書く方がおもしろい。まったく苦にならない。とくにテーマがないからかもしれない。こんな日々のことに8,000字も費やせる。何を書こうか自然と考えている。当時の創作もそうだった気がするけど。
インスタやブログでインテリアとかお金のこととか、何かに特化したアカウントが多くある。ファッションも多い。ありがたく見るときもある反面、自分が率先してやりたいとは思わない。絶対に途中で飽きる。
起業界隈的には「ニッチなスペシャリストを目指せ!」という風潮であるが私はゼネラリストが好きだ。ゼネラリストではないなりにそのときの好きなことを自由に書いていたい。意識は常に変わっていく。
好きライターがいる。ひねくれていて、さまざまな知識を持っていて、頭の回転が速くて、底の知れない人。ライターとして文章がおもしろいことはもちろん、この人自身が好きだ。知を感じる人。日ごろ何を考えているんだろう、と気になってラジオを聞いたりゲーム実況を見たりもする。
この人が映画「花束みたいな恋をした」の感想を書いていた。当時はスルーしたが、先月自分が見てそういえば、と感想を探した。私も誰かにとってそういう興味の存在になれたらいい。
ここで去年リーディングしてもらった内容を思い出すと「あなたは自分の視点を切り取って見せる人。文章を書いて、ブログかな。自由に、徒然なるままに」と言われている。
一応見えないなりに神的なものを信じているけど、久しぶりに人生の伏線回収を味わう。「ブログやりな」の部分は覚えていたのだけど「徒然なるままに」は忘れていてちょっと驚いた。完全にこのブログじゃん、すごいな。たどり着いた感じがする。
リーディングを受けたのが去年の夏で、ブログは初冬に始まった。夏にテーマを決めてエッセイのようなものを書いていたけどよく書けず、未公開テキストが溜まっていく時期があった。そのあと勧められたしブログでも、とここを始めた。
最初は1週間の振り返りをやっていて、あとになって「あれを書いたらよかった」と思うことも多かった。今のスタイルにしてからは書きすぎなくらいだから合っているんだろうな。やり方とか、テーマを決めないこととか、誰のためでもないとか。
スピリチュアル界隈では「人は生まれる前にやりたいことを決めてきている」が通説らしいのだけど、私もそうなんだろうなあと思う。
このブログで何らかの収益が発生したらおもしろいのでグーグルアドセンスを申請した。通れば嬉しいし、通らなければ妥当なので別にいい。なんでもやってみるというのが大事だから。やらないとできるかどうかとか、おもしろいかどうかもわからないし。
急に思い出してニルギリスのsnow kissを聴く。アニメD.gray-manのエンディング。『かってに改蔵』の次に自分で買った漫画で思い入れがある。初めてのレベル4戦までは読んていたけど今どうなっているんだろう、伏線回収が始まっていると聞く。
■5月20日木曜
ウエルシアの日。戦である。
夫についてきてもらって大量に買う。今回はポイントを多めに入れておいたし、夫に計算してもらいながらかごに盛ったので安心してお会計に臨めた。少し遠回りをしてちいかわちゃんのグミも買う。夫がグミの顔を潰しながら食べているが、少し潰れた顔が一番本家に似ていてかわいい。でかつよさんの話を求む。
夫の趣味のウェットティッシュも買った。3個入りと8個入りで悩み、3個入りを選んでいた。「これでまた1ヶ月保つよ、ありがとね」と言っているが120枚入りだから1日4枚使わないとそうはならないんだよな。外ならまだしも家の中で何に使ってるんだ?
と思っていたら帰ってから「また携帯拭こうとした……本当は手も拭きたい……」と心細げ。
「帰ってすぐに携帯拭いてたよね、また拭きたい?」
「外のものってイメージがあるから汚い気がする……財布も」
「でもさっき拭いてきれいになったから大丈夫だね。手だけ軽く洗っておいで」
「うん……。」「手、水で一瞬洗ったら満足した。気持ちの問題だから」
毎日こんなんじゃ大変だろうな。曰くウェットティッシュの使用量は昔より確実に減っているとのことなので緩やかに見守っていきたい。何事も急にはよくならない。
アニメ魔法少女まどか☆マギカを見る。急に見たくなった。
夫が持っている前情報は「マミる」と「キュゥべえが悪役らしい」のふたつ。一番いい状態で見られる。私は漫画履修済みなのでずっと黙って見ていた。
3話タイトルを見て「えっこれ”マミる”話?! まだ4分の1なのに? どうなっちゃうの、本当にマミるの?」と楽しんでいた。今日は3話まで。
ルーンファクトリー5が来た。緊張する。スイッチの容量がパンパンだったので諸悪の根源であるAPEXを消した。なんだ220GBって。
5は今のところ操作がかなり悪く、すでに抵抗感が大きい。そもそも3DRPGが苦手なんだよな、動きすぎるし重いし、遠近感掴みづらいし酔う。エリア移動もマップ俯瞰で見たかった。アイテム見つけるの大変だし、見つけても掴みづらい。視点が半端な感じ。慣れたら大丈夫になるのかな。
畑のときのカメラワークは上下移動が激しく、とくにきつい。畑カメラをオフでなんとかなるのかな、農業も動けすぎてやりづらい。3D酔いもあって3日目の町民あいさつイベントを途中まで進めていったん終了。前途多難である。
アニメーションはすごくきれいになっていて超感動している。武器と農具の持ち替えが少し楽になってそうなのもいい。ただ今のところ操作がなあ、3Dが主流なんだろうけどそういうの画面が小さいポータブル機に求めてないからなあ。スイッチは一応据え置き枠だけどどう見ても携帯機じゃんといつも思う。
あともしかして魔法が2種類しかセットできない?
■5月21日金曜
昼寝から覚めたらメールが来ていた。「グーグルアドセンス出していいよん」とのこと。いいんだ、こんな無料ブログで。役に立つこと書いてないのに。
ということで広告を表示した。記事上部やサイドバーやにぎやかになっています。
こういうのってアクセスが多いブログか有名人がやるものだと思ってたから笑えるな。
リーディングの話を書いたついでにホロスコープを見返したら1ハウスに星が5個入っていて笑ってしまう。2ハウスにも2個、12ハウスと1ハウスの境目にもひとつあるからほとんどの星が「自分」関連のハウスに集まってる。真夏のジャンボリーの「俺! 俺! 俺! 俺! Ole! Ole!」をホロスコープでやるとこうなるんだろうな(※正しい曲名は「睡蓮花」でした。真夏のジャンボリーは歌詞の一部)。
ちなみに6ハウスには何もないから誰かのために何かしようという気持ちが完全に0。自分の人生にしか興味ない配置で清々しい。8ハウスに木星が入っているのもらしいなあと思う。ここまで妙な運の良さだけで生きてきた。それすなわち無意識で人の助けを借りてきたということである。周りの人に恵まれていて、何度も助けてもらってきた。
さっき検索したら「10ハウスは自分がどうなったら立派に大人になったと思えるか」と書いてあって一気に理解した。
私は己の知識のなさや頭のよくなさ、考えの浅薄さを強く恥じていて、だから知性のある人にどうしようもないあこがれを抱く。そういう男をばかり好きになって来た。あやかりたいのだろう。これはイコール、自分がそうでありたい願望になっている。
また「仕事で頼られたい、重要なポジションにつきたい」配置でもある。他人に興味ないのに頼られたいわがままっぷりがいかにも自分らしい。性格は変わらないからそのままでいて。
夫のホロスコープも見たらまったく同じ10ハウス蠍座に冥王星が入っていた。9ハウスとの境目。確かに夫は知の人で、だから好きになった。何を聞いても教えてくれるし、答えがわからないことなら仮説を立てたり考えてくれる。もちろんそれ以外にも好きな理由はあるけど、日常生活で大事な要素。知識は話す内容に直結する。よい人と知り合い、交際し、結婚したと日々思う。ただしゃべっていて楽しいのは誰にとってもとてもめずらしく、喜ぶべきこと。
まどマギ視聴。5話まで。意外と夫が楽しみにしているようす。
「もっとさあ、プリキュアみたいな感じかと思ってたら全然違うんだね」
「みんなでキュゥべえと戦うのかと思ってた。マミさん生き返るのかな」
「もしかしてキュゥべえが魔女側で、魔女を呼び寄せてるんじゃない?」
「まどかの願いは”魔法少女みんなを助ける”系だと思う。僕にはわかる」など言っていた。
私は決まってTOKIO城島さんの「素人は黙っとれ」の態度で返す。
■5月22日土曜
持ち前の器用さで起きながらにして首を寝違える。寝違えるって何が原因で肉体がどうなっているんだ?
調べた。原因はいくつか考えられるけど検査や画像で何か見つかるわけでもないため、明確な原因はないのだそう。時間経過で治らなければ不治の病枠に入ってたのかな。
まどマギ視聴。最終話まで。やはりすごい作品だった。
話の進行に合わせてほむらさんの表札が少しずつ見えていく。彼女の本心の公開度と合わせているんだろうけど、最後まで見え切らない表札がどこまで行っても彼女が孤独の道にいることを示しているんだなあ、と悲しくなる。ほむらさんの本懐は遂げられないし、それを共有できる人もいない。
叛逆の物語ももう1回見たいな。映画館で見たときは「こんなの誰がしあわせになったの?」とつらかった。
冷蔵庫が空なので買い物へ。寝違えにより重いものを持てないので夫にも来てもらった。
玉ねぎやじゃがいもがずいぶん安くて1kgずつ買ってしまう。他にも大量で安いものがたくさんあってかごに盛る。
こういうときに「任せて」と嫌な顔ひとつせずについてきてくれて、「20日の荷物より断然軽いから平気」と言って、帰ってから朝ご飯までつくってくれた。晩ご飯も。本当に優しくて性根のいい人だと思う。この優しさに報いる何かを私は渡せているだろうか。
お礼にポテチは買った。
昼寝後、夫が「ポテチ食べちゃった……」と申告。半分なくなっていた。
兄から「家に『D・N・Angel』って何巻まであった?」と質問。「1巻しかないよ」と返事。
charaのTROPHYをよく聴いた1日。愛情深さの表れである。
おわり
↓よければクリックお願いします!