日曜日の朝

毎週日曜日朝8府30分ごろ更新。役に立つことは書けません。

8月15日~21日 いや「永久不滅リサーチ」て

■8月15日日曜
雨が小降りになった一瞬でじゃがいも、その他を買いに行く。夫要望のコロッケのためにわざわざ傘をさして出かける心意気を気に入っている、自分は性根が善人側に根差していると思えて。
悪人を他人を心身ともに傷つける者、善人を他人を傷つけない者、あるいは自分が傷つくことを厭わない者だとしたら善人側でいたいけど、別に自分が傷つきたいわけではない。性格上他人を傷つけまくることに良心が耐えられないはずなので、それなら自分が傷つくことでなにか大きなものたちから許されていたい。心身を切り売りして免罪符を買いつける。
でも傷つけば当然回復に長い時間を要する。それっぽく言えばナイーブ。今もその長い時間の中にいて、もしかしたらこれは一生負っていくものかもしれないと覚悟をし始めている傷もある。それはそれで、今まで人を傷つけてきたらしいことの対価なので甘んじて受け入れる。まあ新しい傷ができればそちらに集中してしまうから自然薄れていくのだけど。どれを選ぼうと痛みの総量は変わらないからいいことではない。
過去の自分はいつでも未来の自分にナイフを向けるが、未来の自分の在り方次第で過去の自分が向けるナイフの切っ先を下げることもできる。私はそういうことを信じていきたい。
 
帰宅してコロッケのしたく。昨日の夫コロッケの反省を生かして薄め、小さめに成形して油も多めに敷く。いくつかは衣つけの段階で割れたてしまったり焦げていたけど、衣がさくさくしていて中も熱かったので揚げ物らしさがあった。夫も「昨日のコロッケより断然おいしい」と言っていたのでよかった。同時に「コロッケをコロッケたらしめる要素は何なのか」という哲学も始まった。
そう、揚げ物としてのアイデンティティは保たれたけどコロッケかと言われるとコロッケらしくはない。何がどうなったらコロッケを食べた感じになるのだろうか。コロッケ大臣への道はまだ始まったばかり。
 
「ダイナミックじゃんけんをするでしょ、」と夫に話しかける。夫はうむ、という顔で「パーがこうでしょ?」と腕を大きく広げた。まさしくその話がしたいのだ。エスパーか。
「ダイナミックじゃんけんするときに、パーはそうじゃん、グーはこうでしょ。チョキはどうしたらいいの?」
「チョキはこうよ」
夫は腕をからだの正面でクロスさせ、「で、こう」と手の甲同士をくっつけた。正しくはさみそのものである。でもはさみは開いている時間より閉じている時間の方が長いのではと反論すると「はさみは開いているのが本来の姿だから。何事も絵文字とかになるのは本来の姿でしょ」と言う。
「確かに人に擬態できるドラゴンも本来の姿はドラゴンだしなあ、はさみは開いてるのが正解なのかも」
「でしょ。ドラゴンだって絵になるときな飛んでる姿だから。とぐろ巻いてる姿じゃないでしょ」
「ドラゴンってとぐろ巻くの?」
「蛇みたいなやつよ」
「あ、ブルーアイズホワイトドラゴン系じゃなくて漫画日本昔話系の方か」
「そうそう、犬じゃない方。あっちは寝るときとぐろか山に巻きつくでしょ」まずブルーアイズホワイトドラゴン系って犬寄りか?
「そうなるとまた新しい議論が始まっちゃうけど……ドラゴンってとぐろで寝るのかなあ」
「とぐろが一番負担が軽いからね。圧が均等にかかるから」
結局ダイナミックじゃんけんは「ファミレスにおいて店員を呼び兼ねないポーズであるパーかチョキを出した方が勇気の観点で勝利してしまうためチョキ以外の手を出す者がいなくなった。これでは勝負にならないので次第に手を顔より上に持っていかなくて済むようポーズが簡略化されていき、最終的に今の片手仕様になった」ということで決着がついた。知られざるじゃんけんの歴史を紐解いてしまった。
 
漫画日本昔話系のドラゴンはドラゴンと言うか竜か。意味は一緒だけど。
 
映画「ミラクル・ニール」を見る。昔夫と一緒に見てちょっと笑った作品。ニールが序盤で「俺の気分をよくしろ」「そして最適な解決策を教えろ」という願いで当時と同じ笑い方をする。ふたりで。
願いごとの禁じ手である「今のをなかったことにしろ」を作中では1、2回しかやっていなくて、時間を戻せない人間にはその願いの発想がないのか、「なかったことにする」までに積み上げてきたものをそう易々と水泡に帰すことはできない性なんだろうか。人間が。負けが込んでくると負けを少しでも取り返したくて損切りが遅くなってまたどんどん負けが込むとも聞く。借金の君を見ていても感じる。
と思ったけど多分3回くらいやってますね、「なかったことにしろ」系の願い。
1回目がデモンストレーション的に、死んだ生徒たちだけを生き返らせる(「最適な解決策を教えろ」で出た解決策)。2回目が下の階の女性にストーカーしてるイギリス人がやった悪事を解消するため。3回目が「いっちょ世界の問題でも解決するか」と温暖化や食料問題などを解決したあと、新しい問題が生まれてしまってそっちの方が大変そうだったから解消した。
2回目のものはストーカーやってるイギリス人に無理矢理叶えさせられていたものを解消するためだからノーカンにしてもいいのかな。
 
「ニールみたいな力を手に入れたらまずなんて願う?」と夫に聞かれて「これが現実か夢か教えてって聞く」と返事。
夫は「健康なからだにしてって願うかなあ」とのこと。
 
■8月16日月曜
記事の最後にランキングバナーを貼りつけました。ブログ村というランキングです、気が向いたらクリックしてもらえると嬉しいです。
最終的にどう嬉しいかはまだあいまいですが、見てくれてる人がいるんだな~というのがアクセス数より如実にわかる気がします。アクセス数はアクセス数で、増えれば素直に嬉しいです。毎度長い日記ですが、読み終わったときにでもぽちっと。ぜひ。
 
映画「ボスベイビー」を見る。毎回夫が意気揚々と再生して途中までしか見ない謎の因果の作品。やっと最後まで見た。
こういう映画のいいとろは「オチは絶対こうでしょ」という予想を裏切らず、ストレートにやってくれるところだと思う。何事も必ずしもどんでん返しがいいわけではなくて、「そういう空気感」を味わいたくて見る節がある。食べたい味のものを食べるみたいな。
前にTwitterか何かで「奇を衒って後味悪くするのはおもしろいけど、王道作品がもてはやされるのは結局そういう読後感になりたい人が多いから」という投稿を見て腑に落ちた。邪道も王道なしには定義されない。
作品にどういう種類の救いを求めるかという問いは、なるべくひとりでも多くの人が喜び、ひとつでも多くの悩みや苦しみがなくなること、が答えなのですが、これって限りなくマジョリティ擁護の価値観で、そうなると作中のマジョリティ側のキャラクターたちはこれからどんな喜びを追求していけばいいのか? と考えてしまう。現実世界でもそう。マジョリティな喜びや幸福の追求する権利は当然誰にでもある。だけどそれがあまりにも人道に反するものであったなら、世界はどうやってそれを叶えるんだろう?
世の中のすべての人が、すべての願いを同時に叶えるって結局無理じゃない? と薄々気づいていて、叶えたい願いを叶えらる場所に各々が移動していくしかないののだろうけど、それなら最初からマップ選択させてくれ~と思う。
「ボスベイビー」の話と全然関係なくなっちゃった。
 
何の話をしていたか、私が両手を大きく上に挙げながら「い~っぱい!」と何度かやっていたら、夫が腕をクロスさせて「チョキ!!!」と威勢よく言ってきたので大変笑った。ダイナミックじゃんけんの実践。1回グーであいこもやった。
 
最近の食事は洗い物減らしたさでワンプレートにしている。ワンプレートと聞いたときのおしゃさとは程遠く、武骨。
晩に魚を焼いた。夫は寝ていたので自分の分は一皿に盛った。夫が起きてから祖母の遺品であるデパートの商品券で買った角皿に盛った。鮭の端に焼いた夏野菜も乗せた。小皿にはにんじんの和え物があって、味噌汁も。
今まで盛ることと向き合っていなくて、食べられればひとまずそれで派だったけど、ちゃんと盛るのはかっこいいなと感じた。土井善晴先生が「ご飯をお茶碗によそって、装ってあげる」と書いていた。そのときは語源まさかそれ? と思うだけだったけど、夏野菜の色のよい面を見せるように置いたり、気をつかうだけでずいぶん雰囲気が違う。日々の雑事である洗い物を減らせることも大事だけど、もう少し食べること全般に向き合ってもいいのかもしれない。
 
■8月17日火曜
久しぶりに晴れた、嬉しい。昨日洗濯してしまったので今日は洗い物がない。天気予報を見ない生活の責任払いをまたもした。
一瞬狐の嫁入りになる。夫が大雨を見るのが好きなのでカーテンをめくって一緒に窓から見る。大雨のときは必ず見ている。深窓の令嬢か。
「僕のこと変な趣味の人間だと思ってるでしょ」「まあそうね」「やっぱり!」
 
好きなバンドマンのブログを最古のものから読んでいる。地の文章がめちゃくちゃ卑屈で、やっぱり童話めいている。記事を追っていくとよく童話を読んでいることがわかって腑に落ちる。人は読んできた文章を元にしてしか書けない。
わが家のメイン絵本は『ふくろにいれられたおとこのこ』『モイモイの冬ごもり』『あまんじゃくと瓜子姫』だった。一応グリム童話とかイソップ物語もあったし読んだけど、なぜかこの3冊をよく読んでいた気がする。もうちょっと子どもらしいのはなかったんか。ある程度育つと『黄昏流星群』とか『ホテル探偵DOLL』とか、あとは金田一、コナンなど読んでいた気がする。前2冊は意味もわからないのに漫画だからという理由で読んでいた。ガッツがあって好もしい。だから『ホテル探偵DOLL』はそんなにホテルが舞台だったっけ、と今になって思っている。子どもの記憶なんてそんなもん。
 
起床時間が短い日。冬至でも来た? 昼夜逆転が例によって続いていたけどめずらしく夜に眠る。
 
■8月18日水曜
ファミリーマートの40周年記念でいくつかの商品が40%増量していると聞いて夜に夫と行く。2軒回ってファミチキの辛い方を手に入れた。コンビニのホットスナックなんて久しぶりに食べた、おいしい。
スーパーも回って晩ご飯をさぼるためのちょっといいレトルトカレーも買う。私はレトルトカレー好きなのだけど夫はそこまで興味ないらしい。いまいち信じられなくて毎回「いいの? 本当に?」と何回も聞いてしまう。夫は茹で麵タイプのつけ麺を買っていた。少しもらって魚介系の店にはまだ行かない方がいいと心をあらためる。
 
今日もいい天気だった。暑かったので久しぶりにエアコンを入れる。
あんまり何をしていたか記憶にない。今さっきまでのことなんだけどな。
 
食事を2回とも夫が用意してくれて、食後ぼうっとしているうちに洗い物まで終わっていた。今日は役立たずの日。「いいじゃん」と言ってくれる人でよかった。
最近夫が食事をつくる比率が上がっている、ありがたい限り。同時に肉や魚、野菜といった冷蔵庫のものが減らなくなるのでこちらも気をつけて食事のしたくをしないといけない。食事とは日常の代名詞であるからして。
 
首相の言い間違えに夫がもんやりしている。感染拡大と国名のこと。
「地下鉄に薬物を撒いた宗教団体が首相を死なせたあげく、そのことを他国の首相が「○○(宗教団体の名前)の首都・東京が」と言っちゃう感じ」と言われた。
その気持ちがあまりわからないので「卒業証書授与で自分の名前だけ間違えられるみたいな感じ?」「いや、もっとひどいね。全国大会優勝した野球部員を全員表彰することになったのに自分だけ呼ばれないみたいな感じ。いやもっとひどいな、いじめられてて不登校にになった生徒が卒業証書はもらいたくてやっとの思いで卒業式に来たのに、証書がいじめ加害者たちのせいでひどい落書きをされていて、なのにそれを疑問も持たずに読まれる感じ」
ここまで言われるとなるほどよくないことだ。まあそれでも、とは思ってしまう。他人を打つのと同じ鞭でいずれ自分も打たれる。
「読んでいておかしいと思わない、忙しくてそういうことに気づけないならもっと若い人に任せてほしい。高齢者にやらせることではない」というところは同意。政治家の定年って厳密にはないようで、党によってあったりなかったりする程度らしい。一般企業でさえ雇われなくなる年齢の人が国を動かすのはどうかなあと思うけど。危険だからと高齢者に免許返納を求めておいて、自分たちは国を運転していくのっていいのかね。
まあそういう政治を選んできたのは選挙権を持つ私たち全員なので、それが嫌なら選挙行こうねって話。
 
■8月19日木曜
続・いい天気。マスクを洗う。
コロナウイルスの流行でマスクが買えなくなり、家にあるマスクを洗って繰り返し使っていた。マスクが流通してある程度どこででも買えるようになってなお、風呂場で背中を丸めて手で洗っている。
少し前、当時使っていた古いマスクをさすがに捨てた。何度も洗ったことで繊維が切れているのか、かなりやわらかくなっていた。さながら鍋の底に沈んだマロニーちゃんである。
今は新しいマスクを出して、使って、袋にまとめている。袋の中が賑やかになったのでまた洗った。コロナウイルス流行以前は使い捨てるものだと信じていたからとくに疑いなくそうしていたけど、洗って使えると知ってしまうともったいなさでブレーキがかかる。絵の具で描かれた地球の円周を「限りある資源を大事にしよう」というスローガンで囲む標語ポスターを思い出す。
マスクに張りがあるうちは洗って、なくなってきたら入れ替えようか。あんまり繊維が切れてやわらかいとマスクの意味がないはずだし。まあ繊維切れでどれだけウイルスを通すようになっていても、外で人権を得るアイテムとしての効果はなにひとつ失わないのだけど。
 
夫が読んでいた本を借りる。マインドセットに関するもので、ちまちま話を聞いていておもしろそうだった。
その本ではがちがちマインドとやわらかマインドという2種類に性質をわけている。前者は他人からの評価で自分自身の価値を固めていく性質で、後者は他人の価値観は他人の価値観で自分の評価は自分の評価とわけることができる性質。前者にかなり思い当たる節がある。自分が自分だと確かに思っているけれど、他人からの評価も強く気にしている。
昔の失敗を「あのときああしていれば」「こう返事できていればもっといい評価になっていたかも」と過去のたらればをするのもがちがちマインドの特徴らしい。勝手に私の紹介をしないでいただきたい。
がちがちマインドだと人の視線を気にして苦しいからやわらかマインドになっていこうね、みたいな本らしい。おもしろそう。
本の中のトレーニングを早速夫が実践しているらしく、「やってみると結構気が楽になるよ」と言っている。夫はこういう本をみながらすぐに行動に移せるのがすごい。私は読むほうに集中してしまって「で、何するんだっけ。まああとで読み返せばいいか(もちろん読み返さない)」となってしまいがちなので。
ちなみに周囲は褒め方に気をつけないといけないらしい。がちがちマインドの人は「テストでいい点取ってえらい」とか「絵をじょうずに描けてすごい」とか結果に対する評価で褒められたことが多いらしい。この褒め方は「テストでいい点を取れないとえらくない、価値がない」「うまい絵を描けないとすごくない、価値がない」と変換されていって、そのうち「評価されなそうなことはしない」と思うらしい。わかる。
だから過程を褒めるのが大事らしく「苦手を克服できたんだね」とか「時間をかけて描いたね」と言うのがいいらしい。難しいけどチャレンジ精神を認めて伸ばすイメージでいいんだろうか。
 
なんにせよ夫がめずらしく本を読んでいて、そこに学びがあって、おもしろかったと感じているのは嬉しい。新しいことは自分を信じていないとできないから。
 
一瞬創作をやる。この創作も評価してくれる人がどこにもいなくて世界に自分ひとりしかいなくなったら続けるんだろうか。その観点ではがちがちマインドなんだよなあ。でも無職ジョークは平気で繰り出せる。「明るい人ね、ほんとに」と言われるメンタルの強さ。そこはほんと全然どうでもいいんだよなあ。純然たる完璧な無職ではないし。一応。
 
『ニムロッド』をやっと10ページ読む。ハードカバーを買うのが久しぶりすぎて、表紙の硬さに不便がある。もっと読みやすく曲がってほしい。
 
去年秋に回収した関西のご当地タウンワークを読む。長らく取っておいてしまった。
今のところタウンワーク内でしか聞いたことのない単語がいくつかある。コツコツ、黙々は「コツモク」とまとめて略される。掲載枠が小さいと文字数がシビアなんだろうな。
タウンワークはおもしろ求人を探す以外にも、人を雇うくらいなのでそれなりに儲けのある会社が載っているだろうと想定して株価を見ることもある。以前現場作業系通販サイトの求人を見かけて(しかも枠が大きい!経営に余裕がある証拠)、これは、と調べたら1口50万超えの会社だったことがあった。ちょうどコロナウイルスの流行に合わせて株価が急上昇していて、出遅れたけど着眼点は悪くなかった。そういう楽しみ方もある。めったにやらないが。
 
部屋の隅に縦型の突っ張り棒がほしい、部屋が片付きそうな気がする。気だけじゃ肥やしが増えるだけなので要検討。
 
■8月20日金曜
続・いい天気。夫の通院の日。同時にウエルシアの日、基、戦である。今日は通院の付き添いをしない。
通院後に友人への内祝いを選びたいと夫が言うので、そっちについていくべくひとりで病院に行ってもらってその隙にウエルシアで買い物を済ませた。荷物持ちが自分ひとりなので巨大な紙物のストックが足りていることに感謝する。
レジを打ってくれた女性が気さくな人で、「まあまあこんなにかごいっぱいに」「たくさんありがとうございます」と言ってきて怯んだ。挙句「いくらいくらお得になりましたよ!」とレジを離れるときに1円単位で教えてくれた。ホスピタリティと呼べばそうだし、かと言ってわざわざ声高に知らせてほしいことでもない気もする。
 
夫と合流し昼食。近い日に行ったラーメン屋。
各テーブルごとに「hair elastic」とラベルが貼られたガラス瓶がある。中に100円ショップめいたカラフルなヘアゴムが入っていて心の女児がにこにこする。初めて見かけたときにヘアゴムって英語でこう書くんだ~と思いつつ、帰るころにはすっかり忘れてた。
今日あらためてそれを見て「インクレディブル・ファミリーに出てくるイラスティガールと同じか!」と気づく。彼女はルフィよろしくからだが伸びる。ゴム人間だから。また新しい知識が定着してしまった。夫にもおすそ分けしたら「あ、確かにそうか」と納得していた。よき学びを分かち合う、これぞよき夫婦ではないですか。
 
夫のマイナポイントの申請準備をする。電子マネーにチャージしてそれで内祝いを購入し、マイナポイントをもらおうという算段だった。
医者に向けて夫が家を出たとき、華麗にマイナンバーカードを忘れていったので家探しして発掘した。ついでにパスワードについてのメモ書きも出てきたのでチラ見した。ヒントが書かれていて、へ~と思う。
セブン銀行ATMでマイナポイントの申請手続きをしていたらパスワードの入力を求められた。となりから「やば」と小さい声が聞こえた。「パスワードのメモにはこういうヒントが書いてあったよ」と教えたら心当たりがあるようで、意気揚々と入力したら弾かれた。2回目もだめだった。あと1回試してだめだったらロックがかかる。
いったんATMから離れて作戦会議。ロックの解除やパスワードの再設定は当然役所に行かないとできない。時間は15時をすぎたところで、今から電車に乗れば開庁時間には間に合う。チャンスはあと1回、奇跡を願ってラスト1回のチャンスは逃さずトライすることにした。
私はパスワードのメモ書きをなるべく正確に思い出そうとする。「確かこう書いてあったはず、?もついてたよ。だからこういう感じなんじゃない? いくつかパターンが考えられるよ」と言ったら「最後の心当たりがあるから試してみる」と再びATMに向かっていった。戦に行く子を送る母の気持ち。
これでだめだったら役所。電車で役所に行き、手続きを済ませてからまた電車でここに戻ってきて、となりの駅の雑貨屋をうろうろして内祝い品を選ぶ。大変だ。夫の手元をじっと見てたら通った。顔を見合わせてほくそ笑む。内祝い品を見繕いに雑貨屋への道を急いだ。
 
さて上の話の中で、セキュリティ的な観点からやるべきではないことが3つあります。なんでしょうか。
ひとつ、パスワードのヒントを記したものを第三者が容易に見ることができる場所に置かないこと。ふたつ、他人のパスワードを見ようとしないこと。みっつ、他の人がパスワードを打つ瞬間を見ないこと(またはパスワードを入力するときはまわりに見ている人がいないか確認すること)でした。急に。
みなさまパスワードの保管はくれぐれも大事にしてください、何卒。
 
夫が趣味関連で知り合った人と今度ゲームするらしい。何度か一緒にゲームしている人。話を聞く限り相手は夫を仲のよい友人的に思っているらしい。夫はと言えば「いついつに”人と”ゲームする」とお知らせしてくれる。「いつもの○○さん?」と聞くと「そう」と頷く。
温度差というか、壁というか区分けが、いやわかるよ。私もTwitterでできた友だちは「Twitterの友だち」となぜか修飾してしまう。「インスタでよくいいねをくれる人」「創作を一緒にやっているお友だち」など説明調で言う。
みんなプレーンに「友だち」でいいのだろうけど、自分の中の友だちの基準が厳しいのか、相手の特徴をとりあえず説明したいのかわからないけど「友だち」と言えない。一概に「友だち」なる言葉が持つ温度感を、実際の友人たちと照らし合わせると少し違って感じる。そんなに難しく考える必要なんかなくて、一度でもご飯を一緒に食べたり笑ったりすれば友だちと呼んでよいのだろうし、理想を言えばそういうマインドで生きていたい。人類みな兄妹、引いてはみな血縁。
でもなぜか、自分を守りたいのかなんなのか、余計な仕切りを、知り合いが増えるたびにわざわざ新設工事して設けている。同じ大きさの皿がなくて、だから重ねられなくて、食器棚や収納をどんどん増やしている感じ。
よく考えたら誰に話しているかで装飾の多少を調整しているかもしれない。夫には最豪奢修飾で言っているけど、お互いのバックグラウンドに詳しくない人には「友だち」とまとめて言っている気がする。そういうこと?
でもバックグラウンドを知っていればいるほど事実として修飾が増える。
 
考えすぎじゃんと幼馴染(お互い「幼馴染というか、家族でもないけど、友だちとは別枠」と思っている)がよく言う。先日の「推すって何?!」のときも言われた。考えすぎなのはおよそそうで、じゃあこういうこと考えるのやめたい? と聞かれるの全然そんなことない。せっかくこんなに大きくて高性能な脳を持っているんだからいろいろ考えた方がいい、と思っちゃう。
 
ついでなので脳について、最近見たYoutube動画。
→雄の蝶にとっては雌の蝶は人が見るよりもっと魅力的に見えているのかもしれませんね、というあたりはロマンティックな雰囲気さえ漂っていましたが最後「怖?!」と叩き落とされた。漠然としたSFの世界は近いのかもしれない。
 
そういえば家を出る前に突然指値注文を入れた株が約定しなかった。いけると思ってたのに残念。10年間ほとんど値上がりしていないのでそこは期待しないが、配当の利回りがいいので持ちたい。
代わりとも違うけど優待目当てで持っていた株がちゃんと計算すると利回りがさほどよくないので、次の優待の権利落ちを待って適当なタイミングで売ろうとしている。一応今の時点でもぼちぼち値上がりしているのでこのまま持っていてもまあいいんだけど。ちょっと悩んでいる。利回りを求めていくかどうか。
 
■8月21日土曜
あるバンドマンが「血縁以外に愛情を感じたことがない。あなたは愛情をどのようなものだと捉えるか」と質問されてこのように返していた。
「僕は愛というものをやや嘲笑的に捉えていて、具体的にどんな行動でそれを示せるのかわからない。強いて言えば敬意も持つことは愛の感覚に近いかもしれない。もしもあなたが愛を体現したいと考えるならその人に敬意を持ってみるのはどうか」
※超意訳で、1回読んだだけなので捏造が混入している可能性があります。
 
愛が敬意に値する(逆か?)のはそのとおりだと思っていて、だけど私は他人に敬意を持つことにすごく苦手意識がある。正確に言えば自分が敬意起因で行う動作が相手から見てもそうであるか、に自信がない。自分のことを立派に思ってほしい、こういう人物像だと信じてほしい自己顕示欲が、尾を鳴らして鎌首もたげてやってくる。
どうしてこんなに自分の正しさを表明したく、誰かに否定されることを恐れるんだろう。他人から受ける価値にまつわる回路で大きく認知が歪んでいる。私に苦手な人がいるように、誰かが私をそう思うことは道理で避けられないことなのに打ちひしがれる。何度もそのルートを思い出し、同じ場所に同じ傷を負う。愚かだね~~~。
夫が先日貸してくれたがちがちマインドとやわらかマインドの本を早く読んだ方がいいのだろうけど、それで進むことも、何も得られないで自分の底の浅さを知ることもまた怖い。どうないせいっちゅうねん。とりあえずそのまま生きていけ!
 
初めてつくったクレジットカードを解約しようとしている。
ここ数年ATM周辺でしょっちゅうトラブルを起こす機関でつくったので、持っているのもいやだなとなんとなく思ってしまっている。他の機関でつくったカードがメインカードになっているし、このカードを解約する前提でサブカードもつくった。
最後に初代クレジットカードの使用履歴を見たとき、ポイントがまあまあ溜まっていたので解約する前に交換することにした。交換は100ポイントからできるのだけど端数が40ポイントある。あと60ポイントあれば余すところなく使い切れる、でも60ポイント獲得するためには6万円分の買い物をしないといけない。それで得るものが1000円分の他社ポイント。木を見て森を見ず。
端数はあきらめようとした矢先に見つけた。提携のアンケートサイトを。
セゾンの永久不滅ポイントを貯めるためのアンケートサイト、その名も「永久不滅リサーチ」。
いや「永久不滅リサーチ」て。すごいな。いい名前。
いい名前なので登録して、ポイントの貯まりがいいようであればカードも解約しないで継続してもいい。まだ登録していないので日記を書き終わったらやってみる。ポイントの貯まりがよいことを願う。
アンケートサイトと言えばハピタスはアンケートとポイントの交換先がいまいちだったのでもうやっていない。退会も検討している。やっぱり私にはマクロミルが合っている。
 
500円玉貯金が1万円を超えた。めでたいこと。
「こういう小銭貯金って実物を見るとたくさん貯まって嬉しい! って思うのにいざ記帳すると急に価値が10分の1にならない?」
「いやそれほんとそう。人ってばかなの、目の前にあるとたくさんある気がするの。あとなんなら20万が1万円になるくらい価値が下がる」
わかる、どうしてそうなっちゃうんだろう。1万円分あることは変わりないのに通帳に印字されるだけで一気にしぼんだつぼみに思えてしまう。この現象に名前ってあるんだろうか。
 
Pontaポイントが8,000ポイントを超えようとしている。めでたいこと2。
「こういうポイントって500円分貯まったら3,000円の買い物を2,500円にして満足できるのに8,000円分となるとおいそれと使えないし、5,000円の買い物を全部ポイントで払ってもポイント残高が減るのが嫌で全然使えないの。貯めてきた時を思ってしまって」
「それもほんとそうよ、まじでそう。僕もひとつ万単位で貯まってるポイントがあって使えない、危険なんだよ」
「しかもお店固有のポイントなら使いやすいけど、Pontaポイントみたいなどこででも使えるポイントってコンビニで豪遊するか本屋で使うとか美容院で使うかとか選択肢が多いからなおさら身動き取れないよね」
「それもめっちゃわかるよ……」
 
おわり
 
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